『パースペクティブス・オン・サイコロジカル・サイエンス』誌に発表された最近の研究では、バウマイスターが承認した実験を用いて、2000人超の参加者を対象にバウマイスターの結果の再現を試みた。ところが、自我消耗の証拠は認められなかった(英語論文)。

 さらに、『プロス・ワン』誌掲載の2つの研究でも、当該実験の結果を再現できなかった(論文)。バウマイスターは、フォローアップ実験の一部で用いられた方法論は不適切であるとして反論を唱えたが(英語論文)、いまや複数の科学者が自我消耗の理論を疑っている。

 2010年、当時マイアミ大学の大学院生であったエバン・カーターが、バウマイスターの研究結果に初めて疑問を呈した(英語論文)。彼が注目したのは、200件近い実験報告のメタ分析によって自我消耗を本物と結論づけている研究だ。詳細な検証の結果、彼はこのメタ分析に「出版バイアス」を見出した。つまりこの分析対象には、自我消耗が発現しなかった実験結果は含まれていなかったのだ。カーターは自身の研究にこれらの結果を勘案し、自我消耗説を支持する確固たる根拠は存在しないと結論している(英語論文)。

 さらに、同理論にまつわる魅惑的な要素の一部、たとえば「糖分は意志力の促進剤として働く」などは、完全に誤りであると判明している(英語記事)。そもそも、レモネードをちょっとすすって得られた糖分は、脳のエネルギーを少しでも高めるほど速くは血流に乗れない。

 そして、脳科学の専門家の間ではかなり前から知られていることだが、脳は難しい作業に取り組んでいるからといって、より多く血糖を消費するわけではない(英語記事)。脳は筋肉ではなく器官であるため、筋肉と同じ原理でエネルギー消費が増えることはないのだ。計算式に取り組んでいようと、猫の動画を観ていようと、脳は目覚めている間は毎分同じだけのカロリーを消費する。

 では、(バウマイスターをはじめ)研究者らによって観測された現象を、どう説明すればよいのだろう。

 懸命に働けばエネルギーを消耗する。そして、クッキーその他のご褒美で充電すれば困難な作業を続けやすくなる――。これは結局のところ、わかりきった常識ではないだろうか。

 この問題は、相関関係イコール因果関係ではないという典型的な例である。自我消耗に関する初期の実験で観察された、事例レベルの(科学的に実証されていない)現象は、本物らしく見えたかもしれない。だがいまとなっては、研究者らは誤った結論に飛びついてしまったように思われる。

 気力の消耗については、新たな研究で別の説明が提唱されている。スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックらが米国科学アカデミーの紀要に発表した研究によれば、自我消耗の徴候は、「意志力は有限の資源」だと「信じた」被験者でのみ観察されたという(英語論文)。意志力を有限と見なさなかった被験者は、自我消耗の徴候を示さなかった。

 どうやら自我消耗は、「認識が行動を決定づける」ことの表れにすぎないようだ。自分が消耗したと考えると気持ちが沈む。自分にご褒美を与えると気分がよくなる。持続する気力を生むのは、レモネードの糖分ではなく、仕事におけるプラセボ効果なのだ。