多角化の失敗により
コンサルティグ会社が台頭

 戦略コンサルティング会社の存在を一躍有名にしたのは、「BCGマトリックス」あるいは「成長/市場シェアマトリックス」と呼ばれる方法論である[注5]。この方法論は、「多数の事業が併存するなかでどの事業に追加で投資し、どの事業を縮小すべきなのか」という課題に1つの明確な答えを提示することで、大きな注目を浴びることとなる。

 ある推計[注6]によれば、1970年代終わりから1980年代初めには、この考え方は全米の売上高上位500社(フォーチュン500)の半数以上で用いられるに至った。なかでも、1973年の第一次オイルショックを契機とする経済混乱にともない、急速に、米国企業を中心に導入されている。1970年代初頭までに多角化を進めていた米国企業は、突如として訪れた経済停滞に対して、早急に自社の事業を再検討する必要性に迫られていたのである。

 その名称からもわかるように、このマトリックスを世に広めたのは、ボストン コンサルティング グループ(BCG)である。では、なぜこの時代に、コンサルティング会社が台頭し、その知見が急速に浸透したのだろうか。BCGマトリックスの概要に触れる前に、それまでの流れを簡単にひも解いていこう。

 多角化の時代より以前にも、コンサルティング会社は外部の専門家として企業の経営支援に携わり、大きな成果を上げてはいた。たとえば、第2回で紹介したフレデリック・テイラーは、生産工程の専門家として多くの企業の経営支援に関わっていた。それ以外にも、財務会計や管理会計の手法、労務管理や生産管理の領域など、高い専門性を求められる多くの分野ですでに活躍していた。

 さらに、アンゾフが戦略的意思決定の重要性を世に広め、それが組織的かつ科学的に実践されるようになると経営の意思決定がより複雑化し、そこに携われる専門家集団の需要がいっそう高まるようになる。そうして、実務家でも研究者でもない第三の存在であり、実務家や研究者の知見の伝道師であるコンサルティング会社に対して、戦略的意思決定の支援を望む声がこれまで以上に大きくなったと言える。

 その要請にまず応えたのは、マッキンゼー・アンド・カンパニーだった。マッキンゼーは戦前から事業を開始し、戦略コンサルタントという職業とその職業倫理を確立させつつあった。マッキンゼーは、「グレイ・ヘア・コンサルタント」と呼ばれるような、豊富な経験や知見を有する年長者に依存していた戦略コンサルティング業務を、ビジネススクールの卒業生を中心とする若手でも実行できるように業務を定式化し、積極的な事業拡大を実現した。そして、経営戦略の重要性の認知が高まるのとあいまって、その存在感をさらに増していった。

 マッキンゼーは、多角化に伴う事業部制の導入を支援するかたちで時流に乗り、確固たる地盤を築いていた。しかし、分権化を推し進めるその方法論は、多角化が進展した企業群のニーズ、すなわち事業再編の要請に答えるものではなかった。そして事業部制の導入に注力し続けた結果、企業に大きな転換が求められる時代になると、顧客が求める最適な知見を提供できなくなる。

 代わって台頭したのがBCGだった。同社が世に広めたBCGマトリックスは、事業ポートフォリオの特性を一覧できるという利便性を提供すると同時に、キャッシュを生み出す事業とキャッシュを求める事業のバランスを一覧することも可能にした。各事業への投資と事業ポートフォリオの組み替えるうえで、特にキャッシュフローの配分に関する明朗な議論を実現したのである。そうして、BCGマトリックスと、それと同時期に開発された経験曲線を武器に、BCGはコンサルティング会社としての知名度を飛躍的に高めていったのである。

ビジネススクールが
経営戦略の普及に果たした役割

 この時代は、戦略コンサルティング会社の成長とともに、ビジネススクールも急速な成長を遂げた時期でもあった。

 米国における戦略コンサルティング会社の成長と、ビジネススクールの成長は切り離せない。前述した通り、明確で論理的な経営革新の方法論を確立していた有力経営コンサルティング会社が求めていた人材とは、白髪を誇る経験豊かな実務家ではなかった。やる気があり、知的許容力にあふれ、時間を忘れて問題解決に没頭できる若い人材であった。

 代表的な戦略コンサルティング会社は、旺盛な需要に応えて組織を成長させるため、ビジネススクールを卒業した若手人材を精力的に採用した。たとえば、マッキンゼーの実質的な創業者であるマービン・バウワーが記した『Perspectives on McKinsey』によれば、マッキンゼーはまずハーバード・ビジネススクールに焦点を定め、魅力的な条件による積極的な採用活動を展開したという。同様に、BCGもマッキンゼーに劣らない好待遇を提示し、優秀な若手を積極採用していった。そして、コンサルタントとして活躍してクライアント企業に引き抜かれた人材の中には、短期間で経営人材となる成功事例がいくつも生まれた。

 このようにビジネススクールの卒業生たちは、人材の供給源として、また新しい経営概念の伝道師として、経営戦略の黎明期を彩る存在となったのである。

 また当然、ビジネススクールは、知識を生み出す研究機関としてもその重要性を高めていく。卒業生たちの裏には著名ビジネススクールの花形教員の姿があり、彼らはその著作のみならず、教え子を通じて実業界に大きな影響力を発揮していった。

 特に著名な人物は、ハーバード・ビジネススクールのケネス・アンドルーズ[注7]であろう。彼が説く“Business Policy(経営方針)”の概念は、アンゾフは市場環境が変化するなかでどう戦略的意思決定を行うかに注力したのに対して、企業の社会的な責任、マネージャー個人の価値観や考え方、目的達成のために必要なシステム、そしてリーダーシップの役割まで言及されている(1971年の著作[注8]を参照)。

 ビジネススクールでこうした考え方を学んだ経営幹部候補生が、コンサルティング会社の商材であるフレームワークの実践を通じて、企業経営の中核を構築し、経営幹部として成長していった。その道がMBAの学生のキャリアビジョンとして確立されたのも、この時代である。経営戦略普及の背景には、こうした伝道師たちの活躍を見逃すことはできない。

 そうして、企業間でノウハウの媒介となった戦略コンサルタントと、そこに人材と知見を提供したビジネススクールと、外部の専門家と人材を活用した経営者の組織的な協業の構図が生まれた。これが経営戦略という言葉とその概念、そして方法論を広く一般的に広める原動力となったのである。

[注5]BCGマトリックスや経験曲線が誕生した経緯については、以下の書籍が詳しい。Kiechel, Walter. 2010. The Lords of Strategy: The Secret Intellectual History of the New Corporate World. Harvard Business Press.(邦訳は『経営戦略の巨人たち』藤井清美訳、日本経済新聞出版社、2010年)
[注6]Philippe C. Haspeslagh, “Portfolio Planning: Uses and Limits,” Harvard Business Review, January 1982.
[注7]アンドルーズは、「SWOT分析」を世に広めた人物としても認知されている。 彼が著者の一人を務める著作(Learned, E. P., Christensen, R. C., & Andrews, K. R. 1965. Business Policy: Text and Cases. R.D. Irwin.)は、分析ツールとしてのSWOT分析を確立した。
[注8]Andrews, K. R. 1971. The Concept of Corporate Strategy. Dow Jones-Irwin.(邦訳は『経営戦略論』山田一郎訳、産業能率短期大学出版部、1976年)