近代的企業の成立が
経営学を必要とした

 では、近代以前に営利組織の経営戦略は存在しなかったのか。

 そうではない。ただし、アルフレッド・チャンドラーの描いた『The Visible Hand』(1977年)[注4]の時代が始まった19世紀以前と以後で、まずは米国を皮切りとして営利組織の姿が大きく変わった。これが、経営学の発展と経営戦略の登場の直接的な背景となる。

 1840年代まで、米国では依然として伝統的、小規模な企業が各地に点在しており、それを貿易商が結びつけていた。それが1850~1860年代になると、水運や鉄道、そして電信の発達により、次第に地域を超えて遠方から商品を買い付ける、あるいは遠方で商品の販売を行うような企業が発達し始めた。

 そして19世紀の後半には、いわゆる近代的な大企業が、地理的隔たりをつなげて大規模な組織を運営するようになる。1870年から1880年には、通信販売、チェーンストア、大規模小売店が台頭し、全国規模で展開を始めた。これにより、それまで国家や大商人しか持ち得なかった巨大組織が、市場に当たり前のように存在することとなる。

 流通革命から始まったこの商業の変革は、やがて生産工程に波及し、経営者の時代が訪れる。それはアダムスミスのいう“Invisible Hand(見えざる手)”が支配する商取引の時代、すなわち市場での取引が中心であった時代から、チャンドラーのいう“Visible Hand(見える手)”が支配する商取引の時代、すなわち組織内に内部化された取引が主役となる時代への転換である。

 それ以前の小規模な工場と小規模な商店をつなげていたのは、組織ではなく市場であった。そのため、その取引をどのように行うか、それがどのように機能しているかは経済学の領域であり、かつ政府が影響をもたらすものであるため、一企業にはどうすることもできないと思われていた。

 企業行動の戦略的な要素が議論される場合にも、それは経済学おける構造的な市場の失敗、すなわち独占や寡占をつくり出せば超過利潤を得られるという主張が中核であった。この議論が、たとえばロックフェラーのスタンダードオイルによる独占と寡占の戦略につながり、彼に巨万の富をもたらしたことも事実ではある。またロックフェラーのみならず、多くの企業を積極的な拡大策と市場独占に駆り立てたが、それは依然として強者の戦略であり、広く多くの企業が参考とできるものではなかった。

 しかし、市場中心の時代から組織中心の時代へと変遷する、その転換を契機に、軍事や国家運営で培われた組織管理や予算管理の手法が、経営組織の運営に応用されるようになる。特に巨大組織の要員計画と予算計画においては、軍事と国家運営に一日の長があった。そこで新たに登場した巨大な企業群は、まずそれらを模倣して実践することから、急成長する組織の運営を実現したのである。

 それまでの人類の大規模な組織的活動は、戦争やごく限られた大商人の活動(特に国家の威信をかけた公共事業)に限られていた。そのため、一般的な営利企業(工場や商店)をどのように運営するかは、親から子へ伝えられるものであり、独立を目指して働きながら学び、みずからが実践するなかで身につけるものであった。たとえば 「富山の売薬」「近江商人の三方よし」「三井越後屋の現金掛け値なし」のように、事例として参考とされる商人の心構えやそれを記した書物は、日本のみならず世界中で確認できる。

 それが19世紀に始まる営利組織の大規模化と複雑化によって、経営者の感や経験だけに頼らない、経営の方法論の確立を求める時代を呼び寄せたといえるだろう。科学としての経営戦略、その原型と言える経営の科学は、近代的大企業が世に登場して初めて急速な成長とその体系化を進めたのである。

[注4]邦訳は『経営者の時代 上・下』(鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳、東洋経済新報社、1979年)。