では、ミシガン州とオンタリオ州の消費者が同質、または似ていることを検証したいとする。いったいどんな統計的テストをすればよいだろうか。

 残念ながら、一般的なテストのほとんどは差異を示すためだけにつくられている。皆さんは、統計的有意性検定で差異が少なければ、それが類似性の証拠になると考えるかもしれない。しかし、統計学者なら誰もが指摘するだろうが、有意性検定は「差異がないこと」を証明するためのものではない。ということは、消費者の性向は国や文化が違えども、調査結果よりもはるかに酷似しているかもしれないのだ。

 実際、そう考えるべき正当な理由がある。人間の普遍的なニーズ――安全、帰属意識、家族の扶養など――に関しては、誰であれ同じような根本的願望を持っている。社会科学の研究の多くで示されている通りだ。こうしたニーズに即した商品が、過度な現地化をしなくても受け入れられるのは当然である。乳児を持つ親なら世界中どこでも、我が子にサラサラで快適なお尻のまま朝までぐっすり眠ってほしいと願うものだ。それを可能にするおむつは、ラベルは現地語にするとしても、大幅な現地化はおそらく不要だろう。

 にもかかわらず、市場調査から得た有意差を表す結果に基づき、何と多くの時間と労力と予算が現地化につぎ込まれていることだろう――製品、ポジショニング、価格、広告に至るまで。それらの判断が調査結果のみによるものであれば、現地化が行きすぎている可能性がある。

 幸い、差異を強調する統計バイアスを組織的に是正する方法はいくつかある。

 第一に、差異に関する統計テストは、独断的ではなく現実に即して解釈すべきだ(実際にそう解釈されている場合も多いが)。統計的差異に基づいて判断を下しても、ビジネス上の現実的な課題は残る。現地に合わせた変更にはいくらかかるのか。変更のコストに対するリターンはどれだけ見込めるのか(どれだけ売上げが増えるのか)。変更によって、実行(製品発売など)に遅れは生じないか。

 第二に、多国籍企業はスケールメリットによって繁栄を享受する。そしてスケールに寄与するのは、異なる市場間をまたぐ標準化だ。換言すると、統計的テストに差異を強調するバイアスがあっても、多国籍企業は類似性へのバイアスがあるのだ。本社は、言語や小売形態といった明確な違いに対してのみ、現地対応を認める傾向がある。また、本社は組織で大きな発言力を有し、ローカルマネジャーに対する拒否権も持っている。この力関係が、(現地化に関しては)会社と顧客にうまく作用するだろう。

 最後に、類似性は統計的な測定がいまだに難しいとしても、市場とメディアのグローバル化によって以前より見えやすくなっている。また、少なくとも顧客の嗜好に関しては、類似を立証できる新たな統計的テストも現れつつある。

 マーケティングの標準化か現地化か、これはグローバル企業にずっと付きまとう論点の1つである。現地で最適な方法と、世界規模での最適化がトレードオフとなるがゆえに、今後も軋轢の原因となるだろう。この重要な問題を、有意性検定に基づいて決めるべきではない。


HBR.ORG原文:Why Localizing Marketing Doesn’t Always Work September 01, 2016

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ニラジ・ダワル(Niraj Dawar)
カナダのアイビー・ビジネススクール教授。マーケティングを担当。著書にTILT: Shifting your Strategy from Products to Customers(Harvard Business Review Press, 2013)がある。