見たいものだけを見てはいないか

 冒頭に挙げた2つのニュースに対して、その後、各メディアがさまざまな切り口から分析を行っている。そのどれもが、それなりの納得感をもって受け入れられるものだ。ただ、なぜその見解は事前に活かされなかったのか。どこかで「そうなるはずはない」「そうはなってほしくない」という希望があったのではないか。またそもそも、そのもっともらしい分析は正しいのだろうか。

 筆者が、ある予測が失敗したケースに対して「複雑な問題をお気に入りの因果関係の雛形に押し込もうとし、それにそぐわないものは関係のない雑音として切り捨てた」と手厳しい表現で非難したのは印象的だった。これまでに蓄積した経験では処理できない複雑な現象に対峙すると、それを単純化してわかった気分になりたい欲求は捨て切れない。だが、わずかな判断のズレが予想外の影響をもたらす現実がある。ラクをしたいというちょっとの甘えが、予測を大きく狂わせてしまうこともあるのだ。

 都合のよい解釈を加えない重要さは、予測をするときだけでなく、その結果を検証する場合にも求められる。筆者はこう語る。「確率論的にものを考える人は『なぜことがおきたのか』という問いにそれほどとらわれず、『どのようにことがおきたのか』に注目する。(中略)『なぜ』はわれわれを哲学に、『どのように』は科学へといざなう」。予測と反する結果が導かれたとき、自分なりの理由付けで気持ちよく納得するのか、その誤りを真摯に検証すべきなのか。その答えは明白である。

 複雑なものを単純化するのではなく、複雑なものを複雑なままに受け入れる強さを持ち続けること。それこそが優れた予測を生み、優れた意思決定を生む原動力になるのではないだろうか。

本書のエッセンスがまとめられた論文が、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2016年1月号(12月10日発売)に掲載予定。