となると、人を「正しく」評価するという言葉も意味があやふやになってきます。評価に対して「正しい・間違い」を誰が決めるのかという問題です。そこで人が自然にやっているのは、自分が信頼している人の評価を信頼するというやり方です。自分の評価に自信がなかったり、評価するだけの情報が足りなかったりする場合、この方法を取ることで評価の正当性を担保します。

 しかし、この方法も結局、自分の価値観に合った人を信頼し、その人の評価を受け入れるということですから、なんら客観性を担保していることにはなりません。自分の納得度を高める行為でしかないのです。

 こう考えると、人を評価するという行為は偏見に満ちたものであることを認めざるを得ません。

「正しい評価」を持ち出すのであれば、評価する目的に照らし合わせるしかありません。「この仕事を担当するのに相応しい人は誰か」「この役割を担うのに相応しいのは誰か」「このチームに加えるのに相応しい人は誰か」。これらの目的を元に人を評価する。つまり、それは人物評価よりも目的達成のための方法論になります。そこでは人の評価は多様になり「正しい解」は見つけられなくても、成し遂げたい目的を実現させるための「仮説」を導き出すことはできそうです。

「ヒト」ではなく「コト」に集中せよ、とはある起業家から伺った言葉ですが、まさに人の評価は目的から始めないと、矛盾に満ちた客観性の虚構を築くだけです。目的を明確にしない、あるいは目的のない状況での「人の評価」は、あまり意味がないのかもしれません。(編集長・岩佐文夫)