例えば、話す内容を一字一句原稿として暗記するかどうか。同じエピソードでも、魅力的に伝わる内容にするにはどうするか。どうのような服装がいいか。本番前の緊張をいかに抑えるか、などである。これらのエッセンスはどれも、結婚式のスピーチでさえも十分に活用できるノウハウである。

 しかし、本書の醍醐味はそれらをはるかに超える。

 まず注目すべきは、ネットでコンテンツが世界中で共有される時代にでも、いかに「話す」力が社会を動かす強力なツールとなりうるかである。「話す」という表現は、本書を読むとやや軽い。「語る」「伝える」「人を動かす」という要素を兼ね備えた「トーク」の力である。同じ内容のことでも、文字で読むのと、訴える本人が自らの口で全身をさらけ出して語るのでは、伝わる総量は圧倒的に違う。生身の人が生身の人に向かって語りかける力がいかにパワフルか。デジタル技術とインターネットの力で世界中に広まったTEDの本質が、フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションの威力を示したという点が面白い。

 そして、本書では「伝えたいこと」と聞いている人に何を提供できるかを深く内省するように何度も訴えかける。ありふれた主張や教科書的な見解ではなく、あなたの訴えたいこと、そして聞いている人に気づきを与えるものは何か。それこそ、語るに価値のあることである。そして、それは誰もが持ちうるのであると著者は言う。

 日本には「無限実行」という言葉がある。また「沈黙は金」という言葉も。これは偉そうなことを「言う」よりも「実行する」ことこそ価値があるという戒めでもある。この価値観にまったく異論はないが、相対的に「語る力」の価値も見直されていいように感じる。「外見より中身」をひっくり返すなら、「中身があるなら外見もよく見せよう」という発想である。

 経営者は素晴らしい理念や戦略があっても、語る力がなければ社員を実行に移せない。どんな素晴らしい企画も、プレゼンの力で却下されては勿体なさすぎる。本書はこれからTEDに出るかもしれない人が読む、狭い本ではない。人を動かすために強力なツールの一つとして、本書から「語る力」の魅力と威力、そしてその実践法を学ぶことができる。「訳者あとがき」では「人前で話すことが恐怖でしかない」という訳者が「こんな私でもできるかもしれない」と思ったと書かれておられるが、まさに同感であった。