●戦略目標を達成できるようにチームを構成する

 組織の構造と報告体制は、組織の優先事項を反映していなければならない。ビン・ラディン捜索は、大統領とCIA長官にとって表向きは最優先事項であったが、我々の着任後に定期的な状況報告はなかった。そもそも、任務に関する情報と進捗を常に把握し教えてくれる者が、CIA内部に誰1人いなかったのだ。端的に言えば、長官はビン・ラディン捜索の中身について限られた視野しか持てず、手掛かりを追跡中の担当者から散発的に報告を受けるのみであった。

 この状況を受け入れ難くする事件が、2009年12月に発生する。アフガニスタン東部にある我々の遠隔基地で、7人のCIA局員が自爆テロにより命を落としたのだ。局員たちはその現場で、ビン・ラディンの側近への接触を約束してくれた情報提供者と会うことになっていた。その人物は結局、二重スパイでみずから自爆テロに及んだことが判明。この事件により、ビン・ラディン捜索にいっそう注力すべきとの切迫感が本部で高まった。

 事件の直後、ラングレーの長官用会議室で、我々は部屋にあふれるほどいた上級局員たちにこう尋ねた。「このなかで、オサマ・ビン・ラディン捜索の担当者は誰か?」。全員が手を挙げた。それが求められている答えだと思ったのだろう。

 その光景は大きな問題を写し出していた。CIA内部で、誰もが捜索について当事者意識を持っている。にもかかわらず、CIA長官に対して説明責任を果たす者は1人もいない。ビン・ラディン捜索の任務に、毎朝起きてから毎晩寝るまで携わる上級職員が誰もいないのだ。

 そこで我々は、作戦担当官として経験を積んできた1人の局員を責任者とした。現場での経験があり、アフガニスタンとパキスタンの国境で対テロ任務を監督する部隊を率いてきた人物だ。彼には深い知識と信頼性があった。

 チームの切迫感を維持し、この任務が最優先であることをスタッフに示すために、我々はこの責任者(仮にゲイリーと呼ぼう)にあることを課した。毎週火曜日の午後、パネッタ長官にブリーフィングを行う役目だ。たとえ新たに報告すべきことが何もなくても、である。

 ゲイリーとその副官はチームを編成し、ビン・ラディンと家族および側近たちを追跡する一連の取り組みをいっそう強化した。それは、労多くして功の少ない任務であった。ゲイリーは何ヵ月もの間、火曜日のブリーフィングで新たに報告することがなかった。彼とチームにとって辛い時期であった。誰だって、「報告すべきことはありません」と上司に言いたくはない。

 だがこのことによって彼らは、考えられるあらゆる手掛かりを徹底追跡しようと奮起する。ビン・ラディンの捜索は、ゲイリー、副官、そしてチーム全体にとって、当事者意識を持って臨む問題となったのだ。

 2010年8月下旬、ゲイリーはブリーフィングに新たな報告を持ってきた。捜査へのテコ入れが実を結び、ほぼ10年前からビン・ラディンの連絡係を務めてきた兄弟2人を見つけたのだ。CIAはパキスタンで2人の居場所を突き止め、アボッターバードという町まで追跡し、ある路地の行き止まりへと至った。

 そこは「要塞」だとゲイリーは言う。前方を高さ約3.5メートルの塀、後方を約5.5メートルの塀で囲まれた邸宅だ。バルコニーにも約2メートルの塀。インターネットも電話も通じておらず、居住者のうち数人は敷地から外にまったく出ない。

 これは捜査に一意専心してきた結果得られた、大きな突破口であった。ゲイリーはすべての時間を注いで本件の指揮にあたり、ついにはこの手掛かりを確かなものにした。