出版社に勤め紙媒体を制作している人間として、言葉を慎重に選んで書きたいですが、本を読み過ぎる弊害はきっとあるような気がします。

 仕事でも生活でも、人の営みとして、アウトプットの成果を高めるためには、インプットの量と質が問われます。「量は多ければ多いほどいい」、これはインプットを処理する変換プロセスに限界がない場合の前提に過ぎないでしょう。人の認知の限界は、多くの認知科学の研究から明らかになっているように、人はインプットのすべてを消化できない。その前提でインプットを増やし過ぎると、解釈の効率性はますます低くなります。例えていえば、労働時間を多くすればするほど生産性が低くなるのと同じように、大量のインプットが思考の変換プロセスの生産性を下げてしまう可能性があるのではないでしょうか。

 もっとも自分の経験にのみ頼ると、無数の成功パターンも無数の失敗パターンも、その一部しか学べないことになります。結婚など人生の大きなイベントは自分で失敗しながら学ぶには、その代償が大きすぎます。自ら経験した失敗や成功のみでつくった世界観がいかに脆弱かは容易に想像できるでしょう。

 読書の目的を情報のインプットだと規定してしまうと危険です。情報のインプットは、刺激であり築きであり、自らの思考が更新されてこそ目的が達成されるべきものです。思考が更新されるためには、インプットされた知識を既存の思考から解釈して、新しい解釈が生まれること。これは著者の解釈を取り入れながらも、最後は自分の頭のなかでやる作業です。

 新しい情報が頭に入るプロセスは刺激があり、それ自体楽しいものです。しかし、自分の頭で考える作業を省略化して、読書の量に着目してしまう落し穴も見逃せません。思考の更新をうながす手段として、自分で経験してみることなどさまざまな方法があります。活字の良さとともに活字の限界もある。これは、特に本を読むことが習慣となっている人こそ、再認識すべきかもしれません。

 蛇足なら、自分の雑誌ハーバード・ビジネス・レビューについては、読む時間より多くの時間、その内容について考えてもらいたい。また、それだけの考える時間を提供できる内容にしたいと思っています。(編集長・岩佐文夫)