ミラーニューロンが情動を理解する

「お客様の立場に立って考えろ」と言われた経験のあるビジネスパーソンは多いだろう。この他人のことを自分に置き換える能力、すなわち相手の立場に立って考える能力は、脳の中でも最も重要な機能の一つである。その役割を担っているのは、脳の中にある「ミラーニューロン」という神経細胞だ。

萩原一平(はぎわら・いっぺい)
NTTデータ経営研究所情報未来研究センター長、ニューロイノベーションユニット長、デジタルコグニティブサイエンスセンター長、研究理事・エグゼクティブコンサルタント
早稲田大学理工学部電気工学科卒業。プリンストン大学大学院電気工学・コンピュータサイエンス(MSE)修了。電機メーカー、シンクタンク勤務を経て、1997年より現職。脳科学、ライフサイエンス、地域経営、環境などの分野でマネジメントや新事業に関するコンサルティングを中心に活動。著書に『ビジネスに活かす脳科学』『脳科学がビジネスを変える』(以上、日本経済新聞出版社)がある。

 ミラーニューロンは、他人の心を理解する能力のもととなっているともいわれる。「物真似ニューロン」ともいわれ、人が実際に自分自身で行動するときと、他者の行動を観察するときの両方で活動を示し、運動やコミュニケーションなど、さまざまな脳の働きにおいて重要な役割を果たしているとされる。

 他人が運動をしている姿を見ているとき、本人はただ見ているだけのつもりでも、実際には、脳の運動を司る部位にあるミラーニューロンが反応している。さらに、たとえばダンスの先生の踊りを見ている際、「覚えよう」と強い意図を持って見ているとミラーニューロンがより強く反応するという。これはダンスだけではなく、日本舞踊でも、空手でも、フェンシングでも、身体を動かし、形や型などがあるものには同様の反応を示す。

 運動とミラーニューロンの関係は、単に他人の運動を模倣する以上の意味を持つ。それはコミュニケーションである。ジェスチャーのように身体の動きを通してコミュニケーションをとることができるのは、ミラーニューロンの存在が大きく関わっている。また、人が言語能力を獲得できたことも、それが重要な役割を担っていると考えられている。

 さらに重要なのは、ミラーニューロンは大きな身体運動だけでなく人の表情のようなわずかな筋肉の変化にも反応するということだ。誰しも経験があると思うが、相手の笑顔を見ていると自分も楽しくなり、不機嫌な顔を見れば自分も何となく不快になる。そして、この情動の伝搬はその場の全員に影響を与える。なぜなら、そこにいる人たちも皆ミラーニューロンを持っているからだ。共感力の高い人は、情動に関するミラーニューロン・システムの活動も活発であるという。

 喜怒哀楽などの情動反応によって起こる顔の表情変化は、表情筋という筋肉の動きによって起き、これは脳の指令で動いている。笑い顔や泣き顔など、人の表情は世界共通であるといわれ、これが冒頭のように国籍を超えた推察すら可能にしている。

 こうしたミラーニューロンの機能を知ると、お客様への接客態度がいかに重要か理解できるはずだ。新入社員はもちろん、アルバイト従業員にもきちんとビジネスマナー研修をしている企業も多いが、これは非常に大切な人材育成策であると同時に、重要なマーケティング戦略の一部だと言える。なぜなら、お客様は、店員の笑顔一つでその店のリピーターになってくれる可能性があるからだ。

ミラーニューロンが可能にする「おもてなし」

「おもてなし」というのは、相手の立場に立ち、その人に喜んでもらえるように、満足してもらえるように振る舞うことである。さらに日本的美意識とでもいえる「侘び・寂び」の精神にのっとり、決して目立つことなく気配りをし、結果として、その人のひと時を最高の時間、空間に変えることである。

 これを脳の視点からいえば、相手の脳が満足し快情動を感じるように振る舞うことである。この「おもてなし」とミラーニューロンの関係について、資生堂が興味深い脳計測実験を行なっている。

 資生堂のビューティコンサルタント(店頭販売を行なう美容部員)は、お客様に商品を手渡しするときに、片手で渡すのではなく、必ずもう一方の手を添えて両手で渡すようにしている。直感的に納得できるかもしれないが、心理評価では、片手で渡すよりは両手で渡されるほうが丁寧に感じるという結果が導かれた。では、お客様の脳はその時にどのような反応を示しているのだろうか。

 脳計測をすると、やはり片手と両手とでは脳の反応も異なった。両手のときの脳反応は、ミラーニューロン・システムと密接に関連する脳部位の反応が大きくなったという。これはビューティコンサルタントが「おもてなし」をしようとしていることがお客様に伝わっていると考えられる。接客応対の訓練を積んでいるとはいえ、何気なく添える片手が相手の心を変え、満足感、快適感をつくり出すのである。[注1]

 重要なポイントは、お客様に悟られないように気遣いながらの行為でも、お客様の脳は無意識にその振る舞いに反応することだ。資生堂は上記以外にも、脳計測による化粧品の感性評価や店頭での商品説明方法の評価など、さまざまな脳研究を行なっている。

 不快情動が発生すれば、不快情動行動をとる。すなわち不快な状態を脱するために、相手に怒りをぶつけて攻撃して撃退するか、早く話を切り上げてその場から退却するか、どちらかの行動をとる。または行動を起こさなくても、そちらが気になって商品に注意が向けられない、あるいは説明をうわの空で聞かれているかもしれない。

 ミラーニューロンの存在は、相手を無意識のうちに快にも不快にもできるということを示している。だからこそ、ミラーニューロンの働きを理解し、ビジネスに取り組むことが求められるのである。

[注1] Keiko Tagai et al., 6 June 2013, “Differential brain response to one- or two-hand handling action: an fMRI study”, Neuroscience and Neuroeconomics, Volume 2013:2, p21-32.