「グローバル vs. ローカル」を超えるモデル

 割り切れそうで割り切れないという事態の根底には、緑色方式と青色方式は相容れない、という想定がある。この想定を崩すことはできないだろうか。

 非常にシンプルで抽象的なレベルで思考実験をしてみよう。仮に、「ローカル」と「グローバル」について、両者を対立するセットとして見ないで、後者が前者を含むという風に見るとどうなるか。そもそも空間的には、グローバルがローカルを含むという見方は自然であろうし、歴史的(時間的)には、例えば企業はローカルに生まれ、グローバルに育つという発展経路も作為的ではないだろう。同様に、緑色方式と青色方式の関係も、前者をローカル、後者をグローバルと見立てて、後者が前者を含むと見立てることにするとどうだろうか。

 その際、緑=日本、青=欧米というイメージがつきまとうので、青色方式が欧米方式ではなくてグローバル方式であることを明確にするために、青色方式の中身をアップグレードし、ネオブルーモデルと呼ぶこととしよう。グローバル方式としてのネオブルーモデルは、図2のように、緑色方式をその特殊ケースとして含むことにする。


 具体的にネオブルーモデルがどういう姿になるかは後回しにして、仮に、このような形でネオブルーモデルを案出できれば、割り切れそうで割り切れない事態を打開できそうだという見通しを述べてみたい。というのは、緑と青が二律背反的にトレードオフの関係になるがゆえに生じた迷いは、トレードオフ関係の解消によって消えることが見込まれるからである。

 上図のように、青と緑のトレードオフ関係にかわってネオブルーと緑は包含関係に入る。そうなれば、例えば、緑色方式の使い手は、緑のレガシーをキープしたまま、そこにネオブルーモデルとの比較で不足している要素を加えさえすれば、ネオブルーモデルを手中にできる。仮に首尾よく緑色人材の中から相当数のネオブルー人材を生み出すことができれば、如上の問題・疑念は完全に払拭されるとまではいかないまでも、相当程度緩和されるだろう。

「ネオブルーモデル」とは何か

 ここでまず、ネオブルーと緑と青の三者関係について少々敷衍しておこう。ネオブルーモデルは、緑色方式も含むような包容力を持つモデルである。これに対して青色方式は、緑色方式と、いわば同じ次元で二律背反の関係にある。「方式」を「モデル」と言い換えているのも、ネオブルーモデルが持つ包容力のニュアンスを醸し出すためである。

 またネオブルーモデルは、ブルー(=青)という語を含んでいることが示すように、出自は青色方式なので、当然、青色モデルに近い。現実世界でいえば、米国東海岸的な青色方式をもとにしつつも、米国西海岸(特にシリコンバレー)的な新しい組織・人材方式もカバーしえるような包容力を備えたモデルを想定している。

 その具体的な特性を、図3の「4ボックス・ゲーム・モデル」を使って、緑色方式と対比しながら説明しよう。

 水平軸は個人と組織を、垂直軸は思考と行動をそれぞれ対比している。両軸によって4つの箱(ボックス)ができる。この4つの箱をめぐる組織の構成員の行動を説明する。その際、組織における人々の行動は一種のゲームだと読み解く。

〈1〉 左下のボックス:個人が他のメンバーはどのように行動するかを予想(思考)する(右下の明示的ルールが設定された後は、予想とあわせてルールの解釈も行う)。
〈2〉 左上のボックス:個人が上記の予想に基づき、自分の行動を選択する。
〈3〉 右上のボックス:個人の動きが合わさって、うまくいけばその中から均衡が生まれ、組織の行動となる。
〈4〉 右下のボックス:組織の構成員の行動が望ましい均衡状態にあれば、それをルールや戦略として要約する。先述した設計図もこのようなルールや戦略の一種とみなされる。
〈5〉 第2サイクル:右下のボックスのルールや戦略を参考にそれを解釈した上で、個人が他のメンバーがどのように行動するかを予想し(左下のボックス)、それを行動に移し(左上のボックス)、さらには他の行動と合わさって組織の行動となる(右上のボックス)。この右上での組織の行動と、〈4〉のルール・戦略とを比べてズレがあれば、それを解消するようにルールや戦略を書き換える(右下のボックス)。このようにしてゲームのプロセスがよりよい均衡を求めて続く。