マグロを食べてもトロやサーモンに感じる理由

 このように、脳が感覚器官から同時に入ってくる多様な情報を瞬時に処理する結果として、面白い現象が起こる。それを明らかにした実験を紹介しよう。

 被験者は、ヘッドマウント・ディスプレーを被り、マグロの赤身の握り寿司を食べる。そのとき、現実を拡張して改変する拡張現実感の技術を使うことで、被験者にはマグロの赤身がトロやサーモンに見えている。すると、実際にはマグロの赤身の寿司を食べていても、トロに見えているときはトロの味に、サーモンに見えているときはサーモンの味に感じるのだ。同様に、ブラックコーヒーをカフェラテにして見せると、ほんのり甘味を感じるという。

 これは横浜国立大学の岡嶋克典教授による、質感を拡張現実感で変える技術で行われた実験である。これまでほとんど主観的にしか扱えなかった質感について、その変化量を操作可能な物理量に置き換えて計測して、質感の変化を数値化し、定量的評価を可能にする画期的な研究の成果だ。コンピュータ技術が加速度的に進化していることで、拡張現実感の技術は、人間の感性を評価する有力なツールとなっている。

 この技術を活用すれば、人が製品の質感をいかに感じているのかを、実際にものをつくらずにシミュレーションできる。色、光沢、表面の粗度や形状、製品の形などを定量的に変化させ、拡張現実感を体験できるディスプレーを身につけて評価することができれば、最も質感の良い条件を探り出し、製品に反映することも可能である。この技術は、食品、飲料はもちろん、化粧品、自動車や家の内装など幅広く活用できる。

クロスモダリティ効果の仕組み

 では、なぜマグロを食べていてもトロやサーモンに感じるのだろうか。これは「クロスモダリティ効果」と呼ばれる現象である。複数の感覚器官から入ってくる情報がボトムアップ処理をされる一方、脳の中にある情報と統合されてトップダウン処理で判断される際に、視覚からの情報が他の感覚器官からの情報よりも優位に働く結果、実際とは異なる判断をしてしまうということだ。

 先の寿司の例を見てみよう。視覚から入ってくるトロやサーモンの情報と、実際に口の中に入ったマグロの赤身の味覚情報が脳内で統合されるとき、視覚情報が優位に働き、脳に記憶されているトロやサーモンの味に関する情報と統合され、自分が食べたのはマグロではなくトロやサーモンであったと判断されるのだ。

 クロスモーダル効果については、いくつもの実験事例がある。たとえば、フランスでお酒の専門家を養成する大学の学生を対象に行われた実験も、その一つである。

 被験者はソムリエの卵であり、ワインのテイスティング能力は訓練されている。彼らに赤ワインを飲ませれば、「ブラックベリーのような香り」「なめらかなタンニンを感じる」など、テイスティングで使われる表現が多く出現する。また白ワインを飲ませれば、当然、白ワインのテイスティングで使用される表現が多く出現する。

 これを確認したうえで、もう一度、同じワインでテイスティングの実験を行なう。ただし、今度は白ワインに赤い着色料を混ぜ、見た目は赤ワインと区別がつかないようにする。すると、赤ワインに見える白ワインの味を評価するときに、赤ワインのテイスティングで使用される表現が多く出現した。[注1]

 もう一つ、ワインを使った実験で興味深いものがある。ワインの中身は同じだが、ボトルのラベルと値段を変えて美味しさを評価させる実験だ。

 この実験によると、同じ値段であると聞かされているときには、どちらのワインの美味しさも同程度に感じるが、片方のワインの値段のほうが高いと聞かされてテイスティングすると、高いワインのほうが美味しいと答える率が高くなるという。これも脳の中にあるワインに関する情報が、トップダウン処理の際に、味というボトムアップで脳に上がってきた情報よりも優位に働いた結果である。[注2]

 こうしたクロスモーダル効果は無意識に起こるため、実際の場面ではまったく自覚できない。だが、意思決定には非常に大きな影響を与えるため、飲料・食品系企業をはじめ、さまざまな企業や研究機関がこの分野の研究を行っている。

[注1]Morrot, G., Brochet, F.& Dubourdieu, D., “The Color of odors,” Brain and Language, 2001, 79, 309-320.
[注2]Plassmann, H., & O’Doherty, J.,”Marketing actions canmodulate neural representations of experienced pleasantness,” PNAS, 2008.