商品購入前から勝負は始まっている

 このように、お客様の満足度を高めるうえでは購入前のプロセスも非常に重要である。それゆえ、マーケティングシナリオやシーンメーキングが必要不可欠になるが、その代表的な方法論の一つに「ペルソナ・マーケティング」がある。

 ペルソナ・マーケティングでは、ターゲットとするユーザーを象徴化したモデルユーザーを「ペルソナ」として設定し、その人の特徴、行動などに合わせた商品開発やマーケティングを行なう。ペルソナとは元来「仮面」を意味し、心理学用語では人間の外的側面(周囲への適応状況)を指す。そして、その被り方は人の性格などによって大きく異なるが、人は誰しも周囲に適応するために多少は仮面を被かぶっている。

 マーケティングでペルソナを設定するときに、よくデモグラフィックな情報を詳細に分類する。すなわち、人口統計的な性別、年齢、職業、所得、既婚か独身か、子どもがいるか、共働きか、居住地域などである。また、健康に気を使うとか、流行を追うとか、オタク的な趣味があるとか、ライフスタイル等も細かく分類する。その結果として、たとえば、「首都圏に住む35歳の独身女性で、キャリアウーマンであり、ファッションと健康に気を遣う」というペルソナがセットされるのだ。

 もちろん、そのようなペルソナを設定し、そのペルソナに関する情報を収集し、そこからニーズを探ることに意味はある。しかし、より重要なことは内面的な部分、すなわち「仮面」の後ろにある本当の顔である。この「仮面」と「本当の顔」をどのように結び付けるのかこそ、ペルソナの本質であり、購買行動に大きく影響するのだ。

 たとえ同じ首都圏に住む35歳の独身女性で、キャリアウーマンであり、ファッションと健康に気を遣う人でも、価値感覚、時間感覚、金銭感覚が同じとは限らない。そして人間の脳の特性を表すモデル関数に「価値関数」「確率関数」「時間割引関数」というのがあるように、これらの特性は脳によって決まるのである。紙幅の関係で詳細は省略するが、それぞれ簡単に説明する。

 価値関数とは前述の「プロスペクト理論」における利得や損失に対する価値観の違いである。もちろん、一人の人の中でも得する場合と損するときでは価値が異なるが、人によってもその値は異なる。失うことに対してすごく損失感を大きく感じる人もいれば、あまり損した感を持たない人もいる。

 また確率関数とは、自分に起こる事象を本来の統計的な確率よりも感覚的に高く見積もってしまう人と、低めに見積もってしまう人がおり、この特性の違いをモデル化したものである。たとえば、年末ジャンボ宝くじの1等に当選する確率が1000万枚に一枚である一方、自動車事故で死亡する確率は1万回に1回だそうだ。小さな交通事故を含めたら、交通事故にあう確率はかなり高いだろう。それでも自分だけは宝くじに当たると信じて購入する人が多く、交通事故にはあわないと思いながら実際には年間60万件を超える交通事故が起きている。

 そして時間割引関数というのは、将来の価値をどのくらい高く見積もるかに関するモデル関数である。人は将来の価値を何がしか低く見積もるものである。たとえば、明日1万円もらえるのと、1年後でも確実に1万1000円もらえるのと、どちらを選択するか。肥満が健康に悪く、10年後にそれが原因で病気になる可能性が高いことがわかっていても、目の前のケーキをつい食べてしまうか我慢するか。これらの判断は将来の価値を正しく見積もれるかどうかによって異なる。

 当然だが、脳は個人ごとに異なる。それは生まれたときから異なる部分もあるし、育った環境や経験によって異なる部分もある。購買行動にはその特性が大きく影響しているので、ペルソナを設定するうえでも、どういう脳の特性を持った人をペルソナとして設定するかまで考慮しなければならない。少なくとも、心理学でパーソナリティといわれる性格、気質についてはきちんと押さえておいたほうがよいだろう。

 最近の脳科学研究では、MRI(核磁気共鳴画像法)を使って脳の形を計測することによって、個人の脳の特性、すなわち気質等がわかるようになってきている。また心理物理的な方法を用いて、その人の金銭感覚に対する特性の違いをモデル化することはできる。このような手法をマーケティングやCRM(Customer Relationship Management)に取り入れることは可能になってきているのだ。

 脳の特性、とりわけ「情動と意思決定、そしてその結果としての行動との関係」を科学的に理解し、どのようにマーケティングに活用するか。まさにいま、「サイエンティフィックマーケティングの手法開発」が始まっているのである。

 次回更新は、1月29日(金)を予定。

 

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