あなたの意思は情動で決まる

 呼吸をする、食事をするなどの行為と同じように、人間にとって絶対的に必要かつ重要な行為として、意思決定という行為がある。

 自分では気づいていないが、脳は毎日ひと時も休まず、呼吸をするように意思決定をしている。今日の夜に何を食べるのかから、ビジネス上の重要な意思決定に至るまで、あらゆることを決めているのだ。そして、その多くのことは無意識に行なっていることは第1回に述べた通りである。

萩原一平(はぎわら・いっぺい)
NTTデータ経営研究所情報未来研究センター長、ニューロイノベーションユニット長、デジタルコグニティブサイエンスセンター長、研究理事・エグゼクティブコンサルタント
早稲田大学理工学部電気工学科卒業。プリンストン大学大学院電気工学・コンピュータサイエンス(MSE)修了。電機メーカー、シンクタンク勤務を経て、1997年より現職。脳科学、ライフサイエンス、地域経営、環境などの分野でマネジメントや新事業に関するコンサルティングを中心に活動。著書に『ビジネスに活かす脳科学』『脳科学がビジネスを変える』(以上、日本経済新聞出版社)がある。

 そして、この意思決定の前提にあるのが情動反応である。脳にとっての環境の変化、すなわち「温度が低い」「為替が変動している」といった身体外の環境情報の変化、または「お腹が空いた」「肩がこる」などの身体内環境情報の変化が脳に伝えられると、脳はそれに対する反応を起こす。その反応が情動である。

 では、感情と情動の違いは何か。簡単に言うと、情動反応の結果が意識に上がってきているものが感情である。すなわち、感情とは情動を感じている・意識している状態ともいえる。したがって、感情と情動をきちんと使い分ければ、冒頭で述べた意思決定の際に重要になるのは、感情ではなく情動である。

 情動には大きく、快情動と不快情動がある。快情動とは、快に感ずる状況への反応であり、その結果として快情動行動(快な状態に近づこう、続けようという行動)を起こす。美味しいチョコレートを食べれば、もっと食べようと思い、もう一個手に取る。為替変動で儲けるともう一回投資しようと思い、投資する。お客様や上司から褒められれば、相手に認めてもらえたということで嬉しくなり喜ぶ。そして、また褒められたいと思い、褒められるような行動をとる。これらはすべて快情動による快情動行動である。

 一方、不快に感ずる状況への反応が不快情動であり、その結果としての行動が不快情動行動である。不快情動が起こると、その状態から逃避する、またはその状態を解消するために攻撃するという不快情動行動を起こす。たとえば上司にミスを叱責されると、不安や敵意などの不快情動が起きる。その状態から脱するために、逆ギレして相手を威嚇したり、だんまりを決めて早く時が過ぎ去るのを待ったりする。これは不快情動の結果として不快情動行動が起こったということだ。

 もし一切の感情がなくなったとしたら、相手との良好な関係は築けず、誰とも関わりを持たずに生きていかなければならない。また、たとえ関わりを持たないとしても、他の動物に対しても怒りを示せなければ、襲われてしまうかもしれない。人は情動を持つことによって、種として生き延びてきたのだ。人間が数百万年かけて生き延びるために脳に蓄積してきた機能であり、誰しもが持っている基本的機能である。

不快情動は消費者の購買行動を妨げる

 情動を知ることは、消費者や顧客を知るうえでも、会社の上司や同僚を知るうえでも欠かすことができない。何が消費者に快を与え、喜ばせたり楽しくさせたりするのかを知ることによって、消費者が望んでいる製品やサービスを提供できる。また、相手の情動反応を理解し、上司や同僚と良好な信頼関係を築くことによっていいチームが生まれる。

 あなたがお客様に製品やサービスを提供する立場ならば、どのようにしてお客様の快情動を引き起こし、快情動行動につなげるかを考える。同時に、どうしたら相手が不快情動反応をしないか、相手に不快情動行動を起こさせないか、快と不快の両面から考えることが大切である。

 特に、不快情動行動につながる無意識の不快情動を起こさせない配慮は、見落とされがちであるが非常に重要だ。いったん不快情動を引き起こしてしまい、買わないという意思決定と不買行動が記憶に残ってしまうと、購入するという行為を無意識に遠ざけよう、避けようとしてしまうからだ。そして、第1回で説明したように、この無意識の不快情動をアンケートで探し出すのは非常に難しいのである。

 たとえば、服装の乱れは相手に不快な印象を与える。その時点で、お客様との接遇はマイナスの状態からスタートすることになる。なけなしの小遣いを奮発して買った新製品のスマートフォンの梱包材が安っぽい段ボールだったら、製品そのものに触れる前に、何となくネガティブな状態から製品を評価することになるかもしれない。そしてマイナスからスタートした結果、ゼロからスタートするとき以上の使いにくさを感じられるようになる(その意味では、iPhoneの梱包ケースには高級感があり、商品そのものに触れる前から満足度の形成がスタートしている)。

 お客様が製品やサービスそのものに触れる前段階のプロセスもマーケティングシナリオに入れておくことが、無用な不快情動の発生を抑えることにつながる。製品やサービスに対してお金を払うという行為は、お客様が脳を満足させたいからである。だから、お客様の脳に快情動を引き起こし、不快情動を起こさせないようにすることが大切なのだ。

 2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの「プロスペクト理論」によれば、人は快に感ずる時よりも不快に感ずる時のほうが損失感が大きいという。すなわち、100円拾ったときの価値よりも100円落とした時の価値のほうが大きく感じてしまう特性を持っている。お金を支払うという行為そのものは損失行為である。したがって、支払ったお金以上の価値が製品やサービスになければ、満足しないどころか損したという感情が発生する。そして、失望により不快情動を発するのである。

 お客様の満足とは、決して一つの要因だけで得られるわけではない。無意識に脳が感じている不満を解消しておくこと、すなわち不快情動を起こさせないことは、リピート購買、ローヤルカストマー作りには欠かせないということだ。