情動で強化される記憶

 脳は24時間365日、五感を通して入ってくる情報を自動的に、脳にとって必要、すなわち生きていくために必要な情報とそうでない情報を取捨選択して記憶している。なお、生きていくために重要とは、脳が不快に感じたこと、危ないあるいは近寄らないほうがいいと判断したことや、逆に脳が快適に感じたこと、楽しい、繰り返したいと判断したことである。

 ただし、脳にとって重要なことと、あなたが意識的に重要と思っていることは必ずしも同じではない。その最たるものが、試験勉強で暗記する漢字や英単語、歴史の年号である。試験が終わると忘れてしまうのは、脳は生きるためにこれらの情報を記憶する必要はないと判断しているからだろう。

萩原一平(はぎわら・いっぺい)
NTTデータ経営研究所情報未来研究センター長、ニューロイノベーションユニット長、デジタルコグニティブサイエンスセンター長、研究理事・エグゼクティブコンサルタント
早稲田大学理工学部電気工学科卒業。プリンストン大学大学院電気工学・コンピュータサイエンス(MSE)修了。電機メーカー、シンクタンク勤務を経て、1997年より現職。脳科学、ライフサイエンス、地域経営、環境などの分野でマネジメントや新事業に関するコンサルティングを中心に活動。著書に『ビジネスに活かす脳科学』『脳科学がビジネスを変える』(以上、日本経済新聞出版社)がある。

 一言で記憶と言っても、脳の中では「作業記憶」「短期記憶」「長期記憶」という3つのステージに分かれている。

「作業記憶」はランダムアクセスメモリー(RAM)に相当する。これは感覚記憶ともいわれ、五感を通して脳に信号が送られたときに一時的に保持される記憶である。たとえば視覚情報で数十秒、その他の感覚情報で数秒といわれている。そして脳にとって不要な情報、関心のない情報はその後ただちに消去される。

 長期的にデータを蓄積するハードディスクやフラッシュメモリーにあたるのが「短期記憶」と「長期記憶」の2つだ。

 脳が覚えようとした情報は、その後、海馬といわれる脳の部位でもう少し長い時間記憶される。これは数十秒から数十分程度とも、平均で80分程度、長くても2〜3日ともいわれるが、明確な時間が規定されているわけではない。これが「短期記憶」と呼ばれるものである。たとえば、一時的に電話番号を記憶する、名前を覚えるなどに使われる記憶だ。

 そして、脳がこの記憶は生きるために重要だと判断すれば、または繰り返し覚える行為(専門的には「リハーサル」という)によって記憶が強化されれば、「長期記憶」として定着する。たとえば、フグの毒に当たって亡くなった仲間を見れば、たとえ一回の経験でも二度とそれを口にしようとは思わない。逆に、砂糖の甘さや肉の脂身の美味しさは、人間が生きていくために必要な糖分や脂肪分と関係しており、栄養分を体内に取り込む必要がある。そのため、もっと食べよう、次に同じものがあったら食べようと記憶する。

 これら脳が快・不快に感じる情報は、繰り返し覚えて記憶する情報よりも、強く記憶される。マーケティングでは物語性やストーリーテリングが重要と指摘されるが、これは製品やサービスを単に目立つように見せたり、名前を連呼したりするよりも、人の情動に関連させて覚えてもらうほうがより効果的な記憶形成が可能と考えられるからで、理に適っていると言える。