シンガポールでは、すべての車がスマートカードとその読み取り機の装備を義務づけられている。これは公営のスマート課金システム、およびほとんどの駐車場にある受信機と通信するためのものだ。グレッドヒルがその晩に出席したイベントでは、主催者が駐車料金を負担してくれることになっていた。残念なことに、グレッドヒルは自分の車からスマートカードを引き抜くのを忘れてしまったため、主催者側に提示できず駐車料金を負担してもらえなかった。

 この時グレッドヒルは考えた。位置情報に応じてアラートを発してくれるアプリを作製できないだろうか、と。特定の場所にいる時だけ、特定の事項を思い出させてくれる。そのようなアプリが実在したら、車からスマートカードを引き抜くようリマインドしてもらえたはずだ。「『あそこに行ったら○○をするよう覚えていなくては』と、いつも自分に言い聞かせていませんか?」

 グレッドヒルはアップルの開発者用キットをダウンロードし、エクササイズで汗を流している最中にアップル大学の動画を見るようになった。C++(プログラミング言語)をもう1度基礎から勉強し直した後に、うまく機能するアプリを開発し、単に「リマインダー」と名づけた。このアプリは彼のスマートフォンの待ち受け画面に、靴ひもの結び目に似たアイコンで誇らしげに表示されている(本人曰く、実際にはからまったパスタだそうだ)。彼はそれをアップストアで正式にリリースしようとはしなかったが、計り知れないほど貴重な経験であったと考えている。

「この経験は、モバイル機器がどのように動き、何ができるかについて、とても深い気づきを与えてくれました」と彼は語る。「おかげで私はデジタル銀行に関する助言を、非常にテクニカルなレベルで与えられるようになりました。技術の原理を実際に把握しているからです」

 たとえば、アプリを位置情報に対応させるためには、ユーザーがいる場所を正確に把握する必要がある。それにはGPS信号を利用するのが最も確実な方法だが、GPSは屋内では使えない。グレッドヒルは使用目的を実現するために、アップルの測位システムiBeacon(アイビーコン)の利用方法を模索する必要に迫られた。このようにアプリ開発を通して得た直接的な知識は、意思決定、問題解決、そしてベンダーとの話し合いにも役立っているという。

 この経験はまた、真に世界に通用するユーザー・インターフェース(UI)をつくることがいかに難しいかを認識するのにも役立ったという。「自分ではうまくできると思っていましたが、まったく話になりませんでしたよ」

 グレッドヒルの直属の部下数名も、彼に倣いみずからアプリを開発し始めた。「まずリーダーが実行することで、『デジタル空間でリーダーとなる方法を、組織の誰もが知っておくほうがよさそうだ』という雰囲気を醸成できるのです」

 業界の破壊的変化に直面しているリーダーは、グレッドヒルの例に倣うべきである。直接的な経験のないテクノロジーやビジネスモデルについて、判断を下すのは難しい。

 応用学習と市場での実体験の他にも、重要なことがある。経営顧問のなかに、新分野に関する本物の専門家を含めることが必要だ。INSEADの教授でリーダーシップの専門家ハーミニア・イバーラは、『フィナンシャル・タイムズ』紙でこう述べている。「最も優れた訓練を受けてきた企業幹部ですら、重複的な人脈を持っていることがよくある。そこに属するほとんどの人々が、互いを知っているのだ」。偏狭な人脈は往々にして、破壊的なテクノロジーに関する真のエキスパートを迎え入れる妨げとなる。

 そしてもちろん、これまで述べてきた事項を実行するためのリマインダーが必要なら、恰好のアプリがある。グレッドヒルに連絡を取るとよい。


HBR.ORG原文:Leading a Digital Transformation? Learn to Code September 02, 2015

■こちらの記事もおすすめします
「経験に根差した知識」を速やかに習得する法
人脈の「身内化」を解消し、多様性を保つ10の方法

 

スコット・アンソニー(Scott Anthony)
イノサイトのマネージング・パートナー。同社はクレイトン・クリステンセンとマーク・ジョンソンの共同創設によるコンサルティング会社。企業のイノベーションと成長事業を支援している。主な著書に『イノベーションの最終解』(クリステンセンらとの共著)、『イノベーションへの解 実践編』(ジョンソンらとの共著)、新著に『ザ・ファーストマイル』がある。