世界はきわめて異質な存在の集まりから成り立っている

 またインド企業は国際化が得意です。なぜなら、多くの人があまり認識しませんが、インドはそれ自体が大陸でありそもそも多様だからです。日本について文献を読むと、きわめて均質性の高い社会だといいます。だから日本のマネジャーが世界のことを考える際は、きっと皆が同じような世界観でものを見るのでしょう。

 しかしインドでは違います。たとえば私の妻と私とでは、言語が違います。だから私たちはお互いに英語で話します。祝う祭礼も夫婦で違います。また同じ祭礼を祝っても、作法が微妙に違ったりします。このように、インドは文化的にきわめて異質な存在の集まりから成り立っている国なのです。

――それは日本とは全く違いますね。

 インドでは憲法で22の公式言語を定めており、文字も16~17種類あり、さらに方言もあります。多くの人が「インドの宗教はヒンズー教だ」と言いますが、ヒンディズムは哲学であって宗教ではありません。だからインドでも地方によって、その解釈や祭礼のやり方がそれぞれ違うのです。たとえば、私の出身であるベンガル以外の地域では、ほとんどのインド人はベジタリアンです。だから私たちがベジタリアンでないと知ると、他の地域のインド人は仰天します。

 インド人の18%はイスラム教徒であり、インドは人口でいえば世界で三番目に大きいイスラム教国です。そしてインドでは2%がキリスト教徒、さらに2%がシーク教徒で、仏教徒もいればジャイナ教徒もいます。私たちはこれらすべての宗教と隣近所で生きています。だからこそ、インド人は多様性というものに慣れているのです。

――そうした多様性は、企業経営にどういうインパクトがあるのでしょうか。

 もしインド全土にプレゼンスがある企業を経営するとしたら、ベンガル人、タミル人、ラジャスタン人といったそれぞれ違う従業員をマネジメントしなければなりません。そして顧客もまたベンガル人、タミル人、ラジャスタン人、とそれぞれ全然違います。そのマネジメントには、世界は異質な存在で成り立っているという感受性があるのです。

 西インドで通用することも東インドでは通用しないのが当たり前で、同じようにインドで通用することがナイジェリアでは通用しないのが当たり前だと考えるのです。だからインド企業は「これが正しいやり方だからこうしろ」と押し付けるのでなく、世界がもっと複雑であることを理解しています。そして面白いことに、そのこと自体がインドという国の固有アドバンテージなのです。

――ということは、インド企業にとっては、国内でのマネジメントのやり方が、そもそもグローバルマネジメントと同じということでしょうか。

 そうです。「それぞれの地域がそれぞれ違う」という感受性をもって経営するという点では、インド国内でも国外でも同じです。

 例を挙げましょう。Asian Paints がエジプトで家族経営の現地企業を買収した時のことです。その現地企業では、オーナーが現場を回って何か気に入れば、記録も曖昧なままその場の気分で現金を渡すような、前近代的な報奨が残っていました。Asian Paintsはプロフェッショナルな現代企業なので、そのような慣習は受け入れられません。しかし、慣習を一方的に廃止すればトラブルになりかねません。

 そこで彼らは、そのエジプト企業のために、より透明性が高い手渡し報酬制度を新たに作りました。結果として、インド企業による新しいオーナーシップも受け入れられて、事業移管はスムーズにいきました。ここで重要なのは、その新しい仕組みがインドからの輸入ではないことです。Asian Paintsは、エジプト企業の問題を解決するには、インドとは違うマネジメントを作り上げる必要があると理解していたのです。

――そのような海外進出先のマネジメントについては、先進国企業とEMNCとで、やり方が違うのでしょうか。

 違います。特にM&Aの文脈で、違いが出てきます。M&Aの際、 EMNCは知識を獲得するために買収することが多くあります。先進国企業は主に、自らの知識を持ち込んで生産性を高めることを目指します。両者のマインドセットは、大きく違います。

 相手から学ぶために買収する場合、相手の脅威にならないので、成功率が高くなります。一方でもし、「あなたたちは知識がなくうまく経営できないから、どうすべきか教えてあげよう」と介入したらどうでしょう。「何を言うか、これまで長年うまく事業をやってきたこちらに向かって、何様のつもりだ」という反応があるでしょう。

 教えたがり(desire to teach)か、それとも学びたがり(willingness to learn)かが、グローバル化という競争に取り組む先進国企業とEMNCの本質的なアプローチの違いなのです。