今日、有能なリーダーを育てるだけではまったくもって不十分であると改めて断言できる。それどころか、リーダーたちに自信と手段を与え、彼らが自分の価値観を主張し、自分と似たもの同士だけで共有する目標に向かって突き進むようになったら、事態はますます悪化するであろう。そうではなく、我々に今必要なのは、自分たちの価値観と目標が本当に正しいのかを改めて問い直し、自分とは違う人々の価値観と目標を理解しようとするゆとりである。リーダーであろうとなかろうと、すべての人にそのゆとりが必要である。

 教育の最終的な目的は、文明社会を守り育てることだ。それは、例え地域に深く根ざした文化だろうと世界中に広がった文化だろうと、ある特定の集団の文化だけを守り、喧伝していくこととは違う。それは民族主義を、しかも偽りの民族主義を育てる道だ。

 文明社会を育成するというのは、同じ集団の中にも異なる集団の間にも存在する本質的な違いを認めるための好奇心と、その違いを尊重しようとする決意を我々のなかに育てることだ。そのために必要なのはより有能なリーダーではなく、より人間味のあるリーダーである。外部と対立を起こすよりも、心の中に対立を抱え込んで悩むようなリーダーだ。そのようなリーダーは、周りの空気に流されるほうが安全に思える時でも、自分の心の声に従い、また他人が彼ら自身の心の声を見つける手助けをする。

 民族グループを率いる優れたリーダーはすでに大勢いる。我々に今必要なのは、民族ではなく文明社会のためのリーダーを増やすことだ。

 そう考えると、我々が本当に必要としているのは、より強い指導力(リーダーシップ)というよりも、より強い連帯感(フェローシップ)である。連帯感とはすなわち、例え共通の歴史・経験・未来を持たない人々とであっても、同じ困難を共に分かち合える感情である。それは、人々の分断化と原理主義がこれまでよりはるかに一般化した今こそ最も必要とされる感情である。連帯感は分断化と原理主義の両方に対する解毒剤となる。必ずしも相手と「同一」でなくても、相手を「異質である」と感じなくて済むからだ。

 言葉だけでは言い表せない時、沈黙を貫いたり、大声で叫んだり、暴力に訴えるのは簡単だ。だが、言葉で話し合うことこそ今の我々には必要だ。とりわけ、言葉にしたくないだろうことについて話し合うことが──。

 違いを認めない不寛容さによって戦いに勝つことはできない。違いを認めてこそ初めて互いを尊重し合えるのである。


HBR.org原文:After Paris, We Need More Fellowship, Not More Leadership November 14 2015

 

ジャンピエロ・ペトリグリエリ(Gianpiero Petriglieri)
INSEAD(欧州経営大学院)の組織行動学担当准教授。同大学院で新興市場のエグゼクティブに向けた看板コースである「マネジメント・アクセラレーション・プログラム」の指揮を執る。精神医学を専門とする医学博士でもある。