我々は元気で生きている。テロに屈するつもりもない。だが同時に、我々は安全ではない。今回は我々が標的になっているのだ。

 ニュースやSNSのサイトを見ながら、多くの人と同じように私もはっきりと気づいた。テロリストが今回狙ったのは、フランスの富と権力を示す伝統的な象徴ではなかった。彼らが攻撃したのは新しいエリアだ。私の友人や仕事仲間の住む、人種的多様性に富む新興住宅街、そして若者が集い交流するクラブやレストランだ。

 自由が傷つけられたことは間違いない。だがこれは寛容性に対する攻撃であり、フランスの理想に対する攻撃なのだ。フランスの理想は、自由(リベルテ)と平等(エガリテ)の2つでは完成しない。友愛(フラテルニテ)も不可欠である。それなくしては、多様性に富む社会は粉々に崩壊してしまう。

 私はまた、MBAクラスの教え子のことも考えた。おそらく金曜の夜、パリの街中に繰り出していたことだろう。来週最初の授業でまず1分間の黙祷を捧げた後、彼らに何を語るべきかずっと考え続けている。心に浮かぶのはたった一つのことだけだ。

「今度こそ私は、黙ってここから出て行きたいとは願わない。我々は声を上げなければならない。しかも、嘘を言わないほうがいい」

 彼らINSEADの学生は、出身地や価値観が自分とまったく異なる人々のいる学校に来ると決めた。そのことを“勇気ある選択”などと言いたくはない。だが、現在その種の選択をすることがどれほどの困難を伴うか想像すれば、そう言わざるを得ない。好奇心こそ、あらゆる原理主義者が忌み嫌うものなのだ。

 同時に、その好奇心をもっと上手に育てることができればいいのに、と私は思う。ほとんどの場合、我々は口では好奇心を褒め称えるが、実際にはそれほど大切にしていない。教育の目的は明日のリーダーを育てることだとよく言われる。だが問題は「どのように」、そして「何のために」リーダーを育てるか、である。