日本企業におけるCxOの進化

 多くの日本企業が正式にCEOやCFOという名称を使うようになったのは、最近のことである。それまでは、海外に対するわかりやすさのために名刺の裏側にだけ登場したり、社内の通称として使われたりに留まっていた。

 また、Officer=執行役の位置づけは、コーポレート・ガバナンス上の執行と監督の分離など、主に米国と日本の制度の違いを反映している。しかし、CEOに関していえば、米国でも実際には「取締役会会長兼CEO」として同一人物が担当することもあり、その場合には日本の「代表取締役兼CEO」という役割に近い。ただし、CEO以外のCxOは、日本では取締役を兼務していることが多いため、執行に専念する米国と異なる。グローバル企業と日本企業のCxOを対比する場合、背景にはそのようなコーポレート・ガバナンスの論点があるのだが、本稿では、CxOの文字通り「Officer」としての役割に注目して、進化を振り返ってみたい。

 GMで事業と機能のリーダーからなる経営陣が布かれた当時の日本企業に目を向けると、トヨタ自動車や松下電器(現パナソニック)の創業期とも重なる。パナソニック本社に併設された松下幸之助記念館に「組織は大きくなると弱くなるのだから、小さな組織に分けて任せていかなければならない」という趣旨の分権制についての言葉がある。GMのそれからすると若干のタイムラグがあるものの、1933年には分権制が布かれ、それに続く経理社員制度のあり方を鑑みるに、おそらく現在のように海外の先進企業がどのような経営体制をとっているかを詳しく知ることが難しかった時代にもかかわらず、それとの近似性を感じ、驚かされる。松下氏が「経営の神様」と呼ばれる所以の1つではないだろうか。

 究極的には、洋の東西を問わず企業の姿が落ち着くところは近いのだろうが、大企業のマネジメントのあり方に今ほどの違い――ただの「違い」なのか「差」と見るかはここでは追究しないが――はなかったのである。

 そして欧米企業がグローバリゼーション環境下におけるCxOのあり方を模索し、CxO1.0から2.0へ移行しようという頃、日本企業は、Japan as No.1と賞賛された日本独特の経営スタイルへの確信を強め、国内需要の成長を基盤として、輸出モデル終焉前の最後の花を咲かせていた。そして、バブル崩壊後は、失われた、あるいは失ったというべきか、10年、20年とあっという間に時は経ち、その間に粛々と環境適応してきたグローバル企業との「差」が、随所に見られるようになった。

 現在では、日本企業でもCxOの細分化が進み、CFO、CHRO、CIOなどのお馴染みになったものに加え、変革をリードするCTrO(Chief Transformation Officer)まで、様々な肩書きを目にするようになった。外形的にはCxO2.0の段階ともいえるのだが、まだまだ国内中心の見方をする日本企業は多く、これからようやく「日本+海外」ではなく「グローバル」を本格的に視界に入れることになるだろう。同じ2.0の段階とはいえ、その入口と出口くらいの距離があるのが現実である。