ジェネラリストの「CxO 1.0」

Business Trendsでは、エグゼクティブチームの原型は、1920年代のGMに見られ、社長とそれを支えるほんの一握りの経営幹部によるチームであるとしている。マクロ的な背景としては、第1次グローバリゼーションを経た規模拡大と、主に米国における法規制対応の必要性増大に加え、経営者に対して、より明確な経営責任を求めるステークホルダーの要請に応えるために組成されたものである。

 GM内部の事情に関していえば、1919年のアメリカ大不況からの建て直しを託されて社長に就任したピエール S.デュポン氏が、自身を含む4名での経営執行委員会を組成しており、そのメンバーであったアルフレッド・スローンJr.氏が1923年社長就任の後、この委員会の形式を踏襲し、事業部活動のリーダー7人、財務の経験者2人、そしてデュポン氏を加えた10名という経営体制を確立していた。

 スローン氏は、晩年の著書『GMとともに』(*3)において、当時のGMはすでに分権化が進んでおり、経営執行委員会は、各事業のリーダー、機能を管理する本社スタッフの双方と情報を共有し、政策(戦略)を決定する機関として設置したことを明記している。

 他の企業がこれに追随し、経営者としての才覚と素養を重視した人選で、主にジェネラルマネジャーを出自とするジェネラリストによって同様の経営陣を布いたのは、第2次世界大戦を経た頃である。先述のようにCxOと呼ばれ始めたのは随分後になるが、このマネジメントの形成期における動向をCxO1.0としている。

スペシャリストの「CxO 2.0」

 CxO1.0の時代は1980年代まで続く。しかし、グローバリゼーションの潮流における、さらなる企業の規模拡大と複雑性の高まりが、CxOに進化を求め始めた。MNC(Multi-National Company:多国籍企業)論において、その組織構造や本社のあり方、集権と分権、事業と地域のマネジメント軸をどのように組み合わせるかなどの議論が活発になされたのもこの頃である。

 そして、特に冷戦構造の崩壊以降、共産圏や新興国へと市場が広がるに伴い、経営幹部の所掌範囲(span of control)はさらに広がり、そのグローバルマネジメントの1つの形として、経営機能をファイナンス、人事、サプライチェーン、マーケティングなどに細分化した上で、各々をいかに最適化すべきかという検討を開始し、CxOを各機能のグローバルレベルで統括する長として位置づけた。もちろん、彼らもジェネラルマネジャーであることを求められたが、各機能のスペシャリストであることがより重視されるCxO2.0の時代を迎えたというのがBusiness Trendsにおける見立てである。

 CEOやCFOに加え、CHROやCIOが登場し、経営におけるイノベーションやブランディングの重要性が高まるとCTO(Chief Technology Officer)やCMO(Chief Marketing Officer)も誕生した。このような変化により、1社あたりのCxOの数は、2000年代中盤には1980年代と比較して約2倍まで膨れている(*4)

 日本企業では、昨今ようやく、グローバル化に臨むにあたってCxOはどうあるべきか、どのような人材が適切か、さらには、彼らが所在する「本社」とは何か、という議論が盛んになされている。しかし、グローバル企業となった欧・米企業は、日本企業よりも20年超前から、真に「グローバル」であるための組織論・機能論の検討と試行錯誤に取り組んできた。それを束ねる経営陣としてのCxO論にも一定の解を得てきており、その解を見出し続けてきた企業だけがグローバル企業となったともいえるだろう。

*3 アルフレッド P. スローン, Jr.  『GMとともに』(ダイヤモンド社、1967年)
*4 Maria Guadalupe, Hongyi Li, Julie Wulf, “Who Lives in the C-Suite? Organizational Structure and the Division of Labor in Top Management”, NBER(National Bureau of Economic Research) Working Paper, 2012.