苦労をともにした受験者は
一生の仲間になる

――宇宙飛行士に合格した瞬間のことを教えてください。

 合格発表の日、希望者はホテルに泊まることができ、私と油井さんを含めて、4人がホテルに宿泊していました。事前に、「合否にかかわらず9時に電話します」とだけ伝えられていました。9時までは時間もあるしせっかくだからと、みんなで朝食を食べて発表に臨もうとなったんですね。誰が受かった、落ちたがなく、それまでのような状態で会えるのは最後でしたから。

 約束通り、私たちは8時くらいから朝食を取っていました。すると、8時過ぎに私の携帯が鳴ったんです。予定の時間ではなかったので、何も考えずにみんなのいる前で出たら、それが合格を伝える電話でした。

――そのとき同席されていた方の反応はどうでしたか?

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2009年度NASA宇宙飛行士候補者クラスのメンバー。最後列左二人目から、大西卓哉氏、金井宣茂氏、油井亀美也氏。
提供:JAXA/NASA

 すぐに「おめでとう」と祝福してくれました。彼らとは、いまでもよく会います。二次選抜を一緒に受けていた50人くらいのチームがありますが、そのメンバーの中で予定が合う人が集まるというような感じです。同窓会ですね。そのときは、試験中の思い出話が多いですね。面白い体験もたくさんありましたから。

 たとえば、面接はすごいですよ。非常に厳しいです。最後の理事長面接は絶対に落ちたと思いました。何を言われたのかも覚えていません(笑)。そういう環境に置かれたときのリアクションを見るためには必要なことだったんだと思います。同じ苦労を共有しているので、彼らはいまでも大切な仲間です。

――ちなみに、お母様はどんな反応でしたか?

 実際は複雑だったと思います。表面的には「おめでとう」と言っていましたが、やはり親ですからね。危険な仕事はやめてほしいと心配する気持ちは、いまでも変わらないと思います。

――ANAに合格を伝えたとき、どのように送り出してくれたのでしょうか?

 最終選抜を受ける時点ではもう、上司に言わないといけません。いざ選んでから、「やっぱり会社は辞められません」では困りますからね。最終選抜に残ると、事前にJAXAの選抜担当者が会社にあいさつに来ます。上司にはその段階で話をしていたので、会社の上の人たちは知っていましたが、「頑張ってこい」と応援してくれました。

 正直なところ、意外な反応でした。現実的な話になりますが、パイロットの養成にはとてもお金がかかります。私は6年間、副操縦士として飛びましたが、それで十分という金額ではありません。20年、30年、パイロットとして飛ぶことを当然期待されていたと思います。それに対する申し訳ないという想いもあり、社内では当然それについて厳しい意見もあるだろうなと予想していました。

 ただ、いざ蓋を開けてみると、誰一人そんなことは言いませんでした。「絶対に頑張ってこい」と言われたので、それは心強かったですね。試験に受かったときも、みなさん祝福してくださいました。

 次回更新は11月11日(水)を予定。

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