上流に投資する英国、下流に投資する日本

 ボリスの選挙キャンペーン成功を支えたものは何か。それは紛れもなく、効果的なキャンペーン戦略を立案して、それを一貫してコミュニケーションする実行がともなったことだ。

 そこにはまず、「Who-What-How」の戦略的フレームワークに則った一貫した思考プロセスがある。また、その個々の要素として、ターゲットをWhoからWhereへと翻訳し、4つの条件を満たすようにメッセージを紡ぎだした。そして、それらをメディアに乗せる際にはPR活動を重視して、ターゲット軸と時間軸でテーラーメイドを行った。

 こうしたビジネスにも通用する定石に加え、選挙ならではの点として、ネガティブキャンペーンも大々的に行った。ピンチの時には、敵のメッセージをかき消す「死んだ猫」を放り込んでいる。

 翻って、日本の国政政党による選挙のキャンペーン戦略はどのように立案されているのだろうか。

 昨年の衆議院選挙における自民党の「景気回復、この道しかない」というメインメッセージや、民主党の「今こそ、流れを変える時。」というメインメッセージが、はたしてクロスビーに劣らぬ緻密な分析のうえで選択されたのか、私には知る由もない。

 ただ、明確に日本政治が質と量ともに勝っていると言い切れる部分もある。それは現場での選挙活動の厚みと、その緻密さである。

 英国では、ビラ配りや戸別訪問について、誰がどこを担当するかの計画などは、良くも悪くも“適当”であった。万事が万事「だいたいでいいよ」で済まされる。電話作戦が、私の日本語なまりの英語で行われることへの抵抗感もないようだった。ゼンリンの住宅地図を片手に誰がどこのポスターを貼り換えに行くか、事前に明確に割り当てられているような、日本の選挙の風景とはまるで違う。

 また、「選挙活動」とは公式には呼ぶことができない、日常の政治活動についても同様である。日本では、国会議員が飛行機で地元と国会を週に二往復して、地元の冠婚葬祭や集会への出席で多忙を極めることも珍しくない。一方の英国では、週に一度、木曜日の夜か金曜日の朝から地元に入り、土曜日の半日程度を使うのが基本である。

 新人候補者の選挙活動についてはどうだろうか。日本の国会議員の新人候補は通常、「職を賭して」というフレーズの通り、まさに仕事を辞めて1年もの間フルタイムで「公認候補」という職業に転職する。そして、ありとあらゆる地元の催しに参加し、挨拶と握手を繰り返す。これに対して英国の国会議員の新人候補は、それまでの仕事を続けながら、週末を使って選挙活動を行なう。選挙直前の1ヵ月から数ヵ月だけ、職場から休みをもらって選挙活動をするのが一般的だ。

 これは感覚的な議論ではあるが、政治の選挙キャンペーンにしても、またビジネスの製品展開についても、英国では全体の戦略立案に、日本では現場業務の改善や進化に、より時間と能力と経営資源が割かれていると感じる。だが、こうした行動の違いを、単に文化の違いで片付けてしまうのはやや議論が浅いのではないか。政治家や企業の行動には理由がある。本質的には、政治家も企業も、その対象としている市場の有権者や消費者に応じて、そこに寄り添おうと知恵を絞っているのだ。