ネガティブキャンペーンとは何か

 ネガティブキャンペーンという言葉には、やや語弊がある。

 現代のキャンペーンの手法は、より巧妙さを増した。その主張に根拠がなくとも、ポスターや映像などの効果でイメージとして刷り込み、いわれのない批判を展開するまでに進化している。そのため、ネガティブキャンペーンという言葉を使うと、どうしても、汚い手法というイメージが先行してしまうのであろう。

 選挙活動において、もっとも強烈なネガティブキャンペーンが行われている国は、おそらく米国である。大統領選挙ともなれば、共和党と民主党の対立候補間はもちろんのことと、政党内の予備選挙における対立候補にも苛烈なネガティブキャンペーンが行われる。それは、時に行き過ぎた個人攻撃や人格攻撃という形で表れている。

 これに対して、クロスビーの言うネガティブキャンペーンとは、「対立候補に客観的に説明責任を求める」活動のことである。また、メディアからは、ネガティブキャンペーンの権化のように言われるクロスビーだが、彼自身は、一般論として、いまの時代は有権者はよりポジティブなストーリーを求めていると語る。実際、2012年のキャンペーン活動のリソース配分は、ポジティブキャンペーンに多くが割かれていた。

 では、ポジティブキャンペーンとネガティブキャンペーンはどちらが重要なのであろうか。

 選挙に勝利することだけを考えた場合に、両者の割合がどの程度なのかは、選挙をとりまくさまざまな要因に依るところが大きい。たとえば、みずからのベース層の大きさと選挙制度、ネガティブキャンペーンに対する有権者の反応などである。

 いま、ネガティブキャンペーンが受け入れられる社会環境で、組織票を中心とする自身のベース層が十分な大きさであり、かつ、単純な小選挙区制だとする。その場合には、スイング層を積極的に取りに行くポジティブキャンペーンよりも、組織票の票固めと対立候補のネガティブキャンペーンが有効かもしれない。

 しかし、同じ社会環境で同じサイズのベース層だったとしても、たとえばロンドン市長選挙のように、第二候補まで含めて過半数の票を獲得しなければならない場合は、よりスイング層を取りに行くポジティブなキャンペーンの比重が増すであろう。

 米国ではネガティブキャンペーンが非常に効果的であるため、行き過ぎたものも含めて、時代とともに増してきていると言われる。だが本来、候補者をアピールするポジティブキャンペーンと、対立候補に客観的に説明責任を求めるネガティブキャンペーンは、あくまでも補完的なものである。すなわち、その両方が求められているのだ。