●自己管理の喜びと悲しみ

 自己管理という方法は従業員を自由にすると言われるが、実際には何よりもまず組織を自由にするものであることが多い。自己管理および自己組織化の体制は、変化を続ける市場において会社の柔軟性を高めることにつながる。それを実現するうえで、従業員への要求が高まるのだ。

 この体制下では、仕事に全力で打ち込むことは必須条件であって、オプションではない。管理職は廃止されるが、管理すべき仕事の量は増えることになる。従業員はそれまで以上に働き、管理はむしろ隅々にまで行き渡る。1人の上司ではなく、全員が管理するようになるためだ。問題の解決は上司に委ねるのではなく、自力で取り組まねばならない。

 シェイはメモの中でそれを率直に認めており、「仲間同士でのプレッシャーと結果の可視化を通じて、上司が管理していた時と同じ水準の集中力と生産性が維持されることを期待」する旨を記している。また、対立が生じた場合に関係者間の話し合いで解決するための明確な方法も述べている。換言すると、対立を避ける人や怠け者には、この体制は適さないということだ。

 まさにこれが自己組織化の一般的な特徴だ。無慈悲であり、縄張り意識が醸成されやすい。人口動態的な属性ではなく概念上で「仲間」となるか、あるいは弱すぎるか凡庸すぎて居場所がなくなるか――それが分かれ目だ。

 そうした自由な体制におけるモチベーションは、良い時は自尊心から生じ、悪い時には恥から生じる。自由とは、自信を感じている時には素晴らしいものになるが、そうでない場合には人を無力にするのだ(ヒエラルキーとマネジメントは、自己管理によってもたらされる興奮や不安、恥といった感情を見事に覆い隠す)。

 物事がうまくいかない時には、自分以外の誰かの非を責めることができない。自由に伴うこの過酷さゆえに、実績と自主性が最重要視される現代社会でうつ病が増えているのだと主張する人もいる。失敗はすべて個人の責に帰するのだから。

 ほとんどの人々は、自己組織化による自由に対し、リーダーシップに対するのと同じ感想を抱いているようだ。ある程度は必要だが、ありすぎても困る。そして、それらが自分にどう影響を及ぼすのか確信が持てないままだ。

 ジョンソンヴィルでの自己組織化が軌道に乗り始めると、ラルフ・ステイヤーはその発想を押し広げ、しかるべき結論に行き着いた。四半世紀も前に、彼は次のように述べている。「最近5年間の私の目標は、自分の仕事を無くすことだ。みずから新しいことを始め、問題を解決し、責任を取り、自主的に考える人々の集団を創造することで、会社が自律的に回っていくようにしたい」。ところが、その試みはうまくいかなかった。

 ステイヤーが会社から距離を置くにつれ、大切に育くんできた企業文化は逆戻りしてしまった。逆説的だが、組織の自己管理化が進むほど、彼自身がいっそう必要とされたのである。財務面では移譲できたが、文化の形成はそうはいかなかったからだ。「最終的にわかったのは、私の行動や発言には文字どおりの意味と象徴的な意味があったということだ」と、ステイヤーは述べている。

 ジョンソンヴィルの従業員が暗黙のうちにステイヤーに求めたのは、次のようなことだったのだろう――「あなたが文化を育て続けるなら、我々は会社を運営し続けます」。強固な文化に属する人(リーダーの多くも当てはまる)がそうであるように、ステイヤーは好きな時に様子を見るだけでよかったが、決して引退はできなかったのだ。

 勤続47年の後でようやく最近引退した彼は、「アメリカのソーセージ王」と称賛された。およそ半世紀を費やし、リーダー不在の会社をつくることに尽力した彼にとっては皮肉な肩書きである。この称号はまた、人はリーダーを常に求め、どう努力してもそれをやめられないという事実も思い起こさせる。尊敬する存在、または過ちの責を帰す存在として必ず必要なのだ。それが人間というものである。


HBR.ORG原文:Making Sense of Zappos’ War on Managers May 19, 2015

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ジャンピエロ・ペトリグリエリ(Gianpiero Petriglieri)
INSEADの准教授。組織行動学を担当。同校の代表的な幹部育成課目「マネジメント・アクセレレーション・プログラム」を指導。医学博士号を持ち、精神医学の専門家でもある。