するとこの方は、すっと席を立ちホワイトボードの前に立つと、「岩佐さんのおっしゃりたいことは、こういうことですか」と言って縦横二軸のマトリクスを書かれました。これは衝撃的な経験で、自分が考えていた「もやもや」をこの方は瞬時に理解して、それを図解してくださったのです。この図で自分の思考が視覚化されたことで、私の質問の半分は答えてもらっているようなものでした。

 それ以来、「わかりやすい話をする人」=「頭のいい人」という図式が私のなかで出来上がりました。

 しかし、これは非常に偏った定義で、私にとって「話がわかりやすい」人が、別の人にとって話がわかりやすいとは限りません。思考やコミュニケーションのプロトコルに共通性があっただけかもしれません。つまり、極めて自分勝手な定義をしていることになります。

 さらにいえば「わかりやすい話」をしてくれる人を「いい人」とさえ呼んでいる自分もいます。それは自分の話をわかってくれている、自分の知りたいことを話してくれる「いい人」となっているのです。

 このように考えると、「頭のいい人」という言葉をコミュニケーションで使うことに過敏になる必要があります。この言葉の定義が人によって違う以上、「頭がいい」という形容詞を共有したところで、何を共有しているか定かではなくなるからです。また自分に都合のいい人を高く評価する発想と同じです。

 人の評価というのは、極めて自分本位です。そこにあたかも客観的事実であるかのような使い方に無自覚になるのは極めて恐ろしいことです。(編集長・岩佐文夫)