32歳でヒッピーを卒業

 ニューヨークでようやく設計事務所で仕事が見つかって働き始め、貧乏な建築家兼ヒッピーなんかやっていたら、今度はレイオフの嵐。毎週金曜日に2枚のチェック、すなわち、週給のペイ・チェックとセバレンス(解雇)・ペイ・チェックをもらうと、翌週の月曜日から来なくていいということです。アメリカ人だから慣れているということはなく、やはり多くの若者は泣きますね。

 私はなぜか首になりませんでしたが、先の見通しは暗い。どうしたものかと思案して思い出したのが、ビジネス・スクールでした。ハーバードに来て初めて、世の中にはビジネス・スクールというのがあることを知ったというくらい世間知らずでしたが、建築家からアーバン・デザイナーというのより不動産デベロパーのほうがよさそうに思えて……。当時、デベロパー・アーキテクトというのがはやっていました。そのためにはMBAが必要でした。

 調べてみると、MITスローン・スクールは1年で2年分の単位を取れ、MBAをくれるということがわかったので、入学して1975年にMBAを取りました。それが私の32歳。28歳よりかなり遅かったのですが、その1年で、人生をリセットしようと思ったんです。

――そこで建築からビジネスへと転身されたのですね。

 MITで、同級生にジュディという女性がいました。彼女の前職はセックス・カウンセラー。日本では聞かない職業ですが、アメリカにはちゃんとそういうプロの人たちがいるのです。

 ジュディは、この職業では一生食べていくことはできないと考えて、スローン・スクールに来たと言うんです。まさに人生のリセットですね。彼女も卒業して半年くらいは職が見つかりませんでしたが、アメリカン・エクスプレスに首尾よく入社できて、副社長にまでなりました。

 結婚もして、40歳で初めての子どもができた時は、「子どもを持つことが、こんなに素晴らしいものだったなんて」と喜んで連絡してきました。「いま頃になって、何を言っているんだ」って返事しましたよ。なかなかの人生ですよね。

――20代といえば“駆け出し”のイメージです。その20代で、早くも人生のリセットをしなさいというのは、とても新鮮な発想です。

 20代は将来の準備や下積みの時代だから無茶しないという考え方もあります。しかし、昔、職人はアプレンティス、すなわち、10代に下積みの修行を10年近くやると、20代はジャーニーマンといっていろいろなところで武者修行をやりながら経験を積み、その後マスターと呼ばれ一人前になるというのが普通でした。現代では、プロフェショナルがそういう形でキャリアを過ごします。プロフェショナルでアプレンティスに当たるのは弁護士ではイソ弁、医者ではインターンです。

 マッキンゼーでは10年のアプレンティスは無理なので、「マッキンゼーの1年は世間の3年と思え」といって、3年で一通りのことができるように訓練体系を組み立てていました。だから、マッキンゼーに3年もいないで辞めると実はアプレンティスだけしか経験していないことになります。

 若いうちから安定した組織に入って過ごすのもいいが、それも超高齢化時代では案外早く終わる。年金生活が夢なら仕方がないですが、頼りの政府も企業も40年後にどうなっているかわからない。あまり計画しすぎるなと言いたいですね。

 そもそも人生はどこまで計画できるのか、あるいは自分の意志でデザイン可能なのか。

 かなりの部分はデザインできますよ。でも、絶対にデザインできないことがあります。

――それは何ですか。