これらの規範や価値観がいかに型にはまったものであるかは、例外を見なければ気づきにくい。

 私は数年前に北京でのカンファレンスで、中国人CEOによるオープニングの基調講演を聞いて非常に強い印象を受けた。その内容とトーンが、欧米社会の「オーセンティシティ」の基準とかけ離れていたからだ。彼はビジネス界に影響を及ぼしているマクロ経済のトレンドについて長々と話し、個人的なエピソードや価値観、経験や軌跡については一言も語らなかった。

 どうすれば他者を説得できるか、どんなテーマで話せば一目置いてもらえるかは、けっして全世界で一様ではない。個々の文化における哲学や宗教、教育に深く根差している(この分野の先駆的な1冊であるCulture's Consequencesを著したヘールト・ホフステッドは、自身のオランダ人的な謙虚さが理由で、志望した米国企業の職に就けなかった経験を引いてこのことを説明している)。

 ところが、オーセンティック・リーダーシップを表現するうえで模範とされる雛形――自己開示、謙遜、逆境を克服した個人的経験など――は、非常にアメリカ的なのだ。

 他の文化出身のリーダーにとっては、このようなスタイルは不自然で、不適切にすら感じられる。私の生徒の1人である中国人幹部は、オーセンティック・リーダーシップの講座で感じた戸惑いをこう語ってくれた――「大きな挫折を個人的に経験したことのない人間にとっては、肩身の狭い思いがしました」。そもそも、見ず知らずの人たちに挫折体験を語るというのは、彼女にとって恐ろしく、また恥ずかしい行為なのだ。

 企業では、異文化間の理解と多様性を促進する組織的な取り組みも見られる。しかしそれとは別に、グローバルで活動するリーダーに期待されるのは依然として、自身の考えを強く主張し、属人的なカリスマ性によって人々の意欲をかき立て魅了するというイメージだ。

 担当分野に精通していること以外に、みずからの経験に根差したメッセージを伝えるよう求められる。それは馴染みのない領域を担当する時でも、意欲を失った従業員を鼓舞する時でも、さまざまなステークホルダーを説得する時でも同じだ。リーダーとしての有能さを証明するには、親しみやすいストーリーが必要とされるのだ。事実や数値を重視しパワーポイントを多用する幹部は、ビジョンに欠けると批判され、「説得的コミュニケーション力」という最も重要なソフトスキルも足りないと見られてしまう。

 いまやオーセンティシティは、リーダーが従うべき新たな要件の一つになっている。オーセンティシティの本来の意義は同質化からの脱却であることを考えると、何とも皮肉な結果であろう。誰かが期待する人物像ではなく、自分自身に忠実であれというのがその主旨なのだから。

 もちろん、他者を動かすためにはその相手と絆を築く方法を学ぶ必要がある。だが、やり方は一通りではない。リーダーシップのあり方が1つのモデルに収束されてしまえば、貴重な何かが失われるのだ。


HBR.ORG原文:By Being Authentic, You May Just Be Conforming January 19, 2015

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ハーミニア・イバーラ(Herminia Ibarra)
INSEAD教授。組織行動学を担当。同校コラ記念講座教授を兼任し、リーダーシップおよび学習理論を担当。著書にAct Like a Leader, Think Like a Leader(Harvard Business Review Press、2015年)、およびWorking Identity: Unconventional Strategies for Reinventing Your Career(邦訳『ハーバード流 キャリア・チェンジ術』翔泳社、2013年)がある。