未来は人々の「こうしたい」の総和でつくられる

 悲観的な予想の代表は、技術の進展による社会の衰退などがあります。かつてテレビの登場によって「人類の思考力や想像力が欠乏する」と考えた社会評論家がおられました。これらの予想も「願望」を元にしていると私が考える趣旨は、「最悪のシナリオを避けたい」という願いに由来していると思うからです。

 世の末期を説いた予測は過去にも枚挙に暇がありません。しかし、それらの予想をすべて検証したわけではありませんが、人類の歴史は、人々が考えた最悪シナリオより悪くなっている例は少ないのではないでしょうか。最悪シナリオが当たらないというのではなく、それらが提示されることで、人類は最悪シナリオに進まない方向に社会を動かそうという力が働くからではないでしょうか。

 アラン・ケイの「未来は予測するものではなく、創造するものである」はまさに至言です。楽観的予想とはまさに創造したい未来を語っているのです。悲観的予想は、創造したくない未来を語っているのです。

 つまり未来予想の原点は、望ましい将来を描くことに他ならず、具体的な表現の差は、その将来に対する可能性か警告かの違いです。

 DIAMNODハーバード・ビジネス・レビューの最新号は「メディアの未来」を特集しています。編集しながら「どうなるか」で未来は予測できないことがよくわかりました。「どうしたいか」こそ予測の原点であり、人々の「どうしたいか」の総和が現実の未来をつくると考えます。最新号の内容は、我々が考えるメディアの将来に対する願望でもあります。(編集長・岩佐文夫)