ブリント 今回の対談でもそうですが、私たちは、ここ20年の日本の労働市場は本質的にポジティブだという議論を展開しています。ただし、総合的にポジティブに見えても、そこには少なくない例外があり、種々の問題があることをしっかりと把握しておくのは重要だと考えています。全体として良い方向に進んでいるからといって、個別の問題や特定の産業における課題は存在しない、などとはもちろん言えません。

琴坂 そうですね。しかしこの20年間、日本のメディアではブリントさんのいう「例外的問題」が過剰に注目されてきた印象があります。ときには現実が誇張されて語られ、一部の政治家が国民にアピールするためにその流れに乗りました。メディアとしても、扇動的な内容のほうが視聴率や部数が出るという事情もあるのか、そうした事実が拡散しているように思えます。その結果、本来であれば多様な「視点」から議論するべき現実が、特定の「視点」からの理解に偏ってしまったのではないかと感じています。

ロッタンティ それは日本に限らず、多くの欧米メディアも似たようなものだと思います。逆にこの場で我々が議論しているような労働市場の発展について、日本の政治家が強くアピールする姿勢を見せていないことに驚きます。欧州の政治家ならば、期待値よりもはるかに多く創出した雇用の1つひとつについて、誇らしげに語ることでしょうね。1000万件といった数字はいうまでもありません。

健全な自信が
イノベーションにつながる

琴坂将広(ことさか・まさひろ)
立命館大学経営学部 国際経営学科 准教授
慶應義塾大学環境情報学部卒業。在学時には、小売・ITの領域において3社を起業、4年間にわたり経営に携わる。 大学卒業後、2004年から、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に在籍。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定のプロジェクトに関わる。ハイテク、消費財、食品、エネルギー、物流、官公庁など多様な事業領域における国際経営の知見を広め、世界60ヵ国・200都市以上を訪れた。 2008年に同社退職後、オックスフォード大学大学院経営学研究科に進学し、2009年に優等修士号(経営研究)を取得。2013年に博士号(経営学)を取得し、同年に現職。専門は国際化戦略。 著書に『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)などがある。

琴坂 なるほど、次の選挙でお二人の論文が引用されるかもしれませんね(笑)。さて、真面目な話に戻りますが、私はいつも学生たちに、もっとポジティブな姿勢で物事を捉えるよう伝えています。この姿勢は、21世紀の経済をより素晴らしいものへと導くと考えてよいのでしょうか。

ブリント 間違いなくそうでしょう。些細なことに見えるかもしれませんが、問題をチャレンジとして、そして、チャレンジをチャンスとして捉えることは、経済を大きく変える可能性があります。

 たとえば、現在の日本の製造業のなかには1つの製品を少しずつ改善して、それを繰り返しながら効率的大量生産を図る事業モデルを採用する企業があります。しかし、これらの企業が、人件費の低い国にあるメーカーとの価格競争に生き残るためには、みずから新市場を開拓するなど、より抜本的なイノベーションの追求が求められるでしょう。そのような大胆な事業展開の切換えに四苦八苦している企業は、多いのではないでしょうか。

 こうしたチャレンジを、困難な問題としてしか捉えられなければ、新興国の成長を背景とした価格競争に対して、おそらく他社にアウトソーシングするくらいの対抗策しかとれません。場合によっては、廃業という最悪の結果が生じるかもしれません。

 対照的に、新興国の成長をチャンスとして捉えた場合はどうでしょうか。たとえば、日本の品質向上技術と製品開発チームに海外のトップデザイナーが雇われ、その協力によって新しい製品が生まれ、新興市場の上級セグメントの市場開拓を促し、それが新たな企業発展に結びつく、ということも起こるかもしれません。

 変化とは、脅威であると同時に可能性でもあります。つまり、視点をどこに置くかによって、同じ事実でもまったく異なる結果につながるのです。

琴坂 拙著『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)の中で、「視点」の議論に触れていますが、物事は多面的に捉えなければならないと心から感じています。最後に少し抽象的な質問をさせてください。より多くのイノベーションが日本で生まれるためには、何が必要だと考えますか。

ブリント 私は、技術的なイノベーションの促進が日本にとっての最良の手法とは考えていません。むしろ、イノベーションを市場へ結びつけるもの、すなわち起業家精神を鼓舞することが大切だと考えています。

 私は別の研究で、日本が直面している人口構成の変化に伴い、「二重の副作用」とも呼ぶべき現象が起きているのを発見しました。1つ目の副作用は、典型的な起業家は若くして起業しますが、日本では若年層の人口がどんどん減っているので、起業活動に悪影響を及ぼしているという点です。2つ目は、家族構成の少数化が進むと、親の期待や希望がたとえば1人の子どもに集中してしまい、その影響が色濃い子どもたちは、親が勧める安定企業の会社員や公務員を目指す傾向が強くなるという現象です。

 このように、日本は「二重の副作用」に苦しんでいます。教育システムを通して、限られた若い世代にいかに起業家精神を教えることができるのか。もちろん、高齢層の創業支援など、高齢化社会に適応した施策も必要ではありますが、とくに政治に携わる人たちにはこの問題の解決に頭を絞ってほしいと思います。

ロッタンティ 私も同意見です。日本の新製品導入率はすでに他のどの国よりも高いのですから、技術的なイノベーションは日本にとって課題ではないと思います。私は頻繁に日本を訪問しますが、そのたびに新しい製品、見たことのない製品を目にします。日本だけにしかないものもありますね。いくつかの輸出産業で日本は成功を収めましたが、まだまだ多くの可能性があると確信しています。しかし依然として、日本の輸出はGDPの16%程度に留まっています。

琴坂 なぜ、輸出の比率が上がらないと思いますか。

ロッタンティ 理由はいくつか考えられますが、1つは国内市場がまだ十分に大きいことでしょう。スイスの場合、国内市場はとても小規模なため、基本的にどんな製品でも、輸出を前提としたビジネスを強いられています。

 もう1つ考えられるのは、日本以外の市場、つまり参入可能な海外市場があることに対する認識の薄さです。しかし、これには適切な人材が必要ですね。また認識が十分にあったとしても、海外市場進出を検討するうえでの自信、もしくは資金や人材が不足している企業もあるでしょう。

 日本の潜在力を発揮できる海外市場は、まだまだたくさんあるはずです。それを見つけ出すことがカギではないでしょうか。

琴坂 日本にすでにあるもので、有効利用できるものはありますか。

ブリント バブル時代にあったような集団的な多幸感などは、おそらく集団的な幸福度の低下同様、健全な経済発展にとってはよくないものだと思います。むしろ、日本がこれまで達成してきたこと、そして現在置かれている状況をよりポジティブな視点で捉えることに、我々の研究が少しでも貢献できれば嬉しく思います。日本には有効利用できるものがすでにたくさんあります。もっと自信を持つことで、来たるべきチャレンジをチャンスとして捉えることもできるはずです。

ロッタンティ 明治以来、日本は経済発展を目的にスローガンを用いてきた歴史があります。「失われた20年」や「かわいそうな世代」よりも、「グローバル化を楽しく」なんてスローガンを見てみたいですね。

琴坂 とても参考になります。ポジティブな視点で捉えると、日本に忘れ去られていた多くの物事が、逆に日本の未来のために有効活用できそうですね。そろそろ時間です。本日はありがとうございました。


第1回「データが語る『失われなかった20年』 スイスの研究者が覆す、日本の“常識”」
第2回「大学進学率と非正規雇用の意外な関係性 スイスの研究者が日本の労働市場を読む」
第3回「女性の雇用は“大躍進”を遂げていた『失われた20年』のもう1つの真実」
 

【書籍のご案内】

 

『領域を超える経営学』(琴坂 将広:著)
マッキンゼー×オックスフォード大学Ph.D.×経営者、3つの異なる視点で解き明かす最先端の経営学。紀元前3500年まで遡る知の源流から最新理論まで、この1冊でグローバル経営のすべてがわかる。国家の領域、学問領域を超える経営学が示す、世界の未来とは。

 

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