そのときちょうど、家のトイレに、本田宗一郎の自伝を置いていたんですよ。それをパラパラとめくって思いました。本田宗一郎は、マネジメントや財務が得意ないわゆる“優等生”の経営者だったわけではないが、ものづくりに情熱を傾けて歴史に残る偉業を成し遂げた。そういう経営があってもいいんじゃないか、と。

 人間には、それぞれ得意と不得意があって、自分の得意なことをやるのが幸せだし、成果も挙げられます。自分はどうかと考えた時、僕がやるべきは、ゲームづくりだと思いました。そこから、現場に復帰して組織を一から立てなおそう、と覚悟を決めたんです。

研修やマニュアルでは絶対に伝えられない
ゲーム開発のおもしろさを知ってほしい

――復帰を決断されたとき、現場の反応はいかがでしたか。

 みんな反対しましたよ(笑)。でも、「もう、おれはやると決めたから」と宣言して、「ここから3年間、開発部門は赤字を出すから、よろしく」とも言いました。ただ同時に、「3年後には絶対黒字化させる」という約束もしました。結局、2年後には黒字になったので、結果オーライではありましたね。

――現場に戻られてから、まず何をされたのでしょうか。

「いまは開発部門で黒字を生み出していますが、たとえそういう状態であっても、つくっている人間だけが偉いのではありません。1つのゲームの成功は、まわりのいろいろな仕事をする人たちに支えられてのことなんです」

 1年目は、メンタル面も含めたトレーニングをやりました。ゲーム開発というものについての思想を説いていく。同時に、企画を立てるところから、最後のマスターアップまで、つきっきりで一緒にやりました。

 ゲームのプロデューサーは、研修やマニュアルでは絶対に育てられないと思います。ゲームデザイナーという同じ立場の人間として、コンセプトをつくるところから「こういうふうに考えたほうがいいんじゃない」「そのアイデアはおもしろいから入れようよ」と、一緒に考える。こういうやり方でしか教えられないことがあります。

 また、つくっていくうえで直すところがあったら、直接、プログラマやデザイナーに話をしに行かせて、どうしてそうすべきなのかについて考えさせます。そこで伝えたかったのは、「ゲームをつくるのは、幸せで、楽しいことなんだ」ということです。開発に関わる全員が、そう感じられる雰囲気をつくるようにしました。

 そんななか、2011年の11月にスマートフォン向けのアクションパズルRPG「ケリ姫クエスト」というサービスがスタートしました。2012年2月には、PS Vita向けの「ラグナロク オデッセイ」というソフトを発売します。これが30万本以上売れて、ようやく成果らしい成果が出てきたかなと思えました。同じく2月には「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」のサービスをスタートしました。

――現場復帰して2年での成果となると、すべて順調に進んだようにも見えます。とはいえ、一から組織を立て直すのは大変な苦労があったのではないでしょうか。

 もともと苦労は承知の上でしたから、特別大変だという気持ちはありませんでした。また、会社の経営として見ると、開発部門は赤字ですがサービス部門は黒字だったので、利益を出しながら改革を進めることができました。

 いまは開発部門で黒字を生み出していますが、たとえそういう状態であっても、つくっている人間だけが偉いのではありません。1つのゲームの成功は、まわりのいろいろな仕事をする人たちに支えられてのことなんです。だから、ゲームがヒットしたときは、開発に直接関わっていない人も含めて、全員にインセンティブを出します。

 僕の考え方は少し古いのかもしれませんが、同じ釜の飯を食う感覚を大事にしています。会社を創業したときは数人から始めて、それが10人、50人となり、100人の壁を突破して、いまでは全体で1000人近くの会社になりました。やはり、人が増えていくと関係性が希薄化していくところはあります。そこを懸念して、会社の全員でやる行事を多くするようにしています。その1つが、浅草のサンバカーニバルへの参加です。