ロッタンティ それは女性の非正規雇用の増加を説明する1つの有力な説ですね。実際、そのような事情でパートタイムの職に従事するケースも多いでしょう。しかし、女性の力が純粋に必要であるがゆえに女性を雇用している、という第二の説も無視できないと私達は考えています。

 たとえば、日本のサービス産業はこの20年間で急成長しましたが、多くの求人募集で最も需要が高いのは女性です。もちろん、こうした求人の多くはパートタイムで、柔軟に働ける労働者を求めています。しかしそれ以上に、女性の強みや特性が活かせる業務であるというのも事実です。

ブリント 少し議論を単純化して、最も基本的な経済理論をもとに、この問題を考えてみましょう。

 まず、女性が働かざるを得なくなったという第一の説が多くのケースに当てはまる場合、非正規雇用の賃金は時間の経過と共に安くなるはずです。なぜなら、このようなサプライ・ショックは、非正規雇用の賃金を下げる働きを企業側に促すからです。つまり、より多くの女性が職を求めるという需要が大きくなる一方で、職の数という供給はすぐには拡大しない限り、労働の「値段」、つまり賃金が下がるしかないでしょう。

 他方、第二の説が多くのケースに当てはまる場合、つまり企業側の非正規雇用という働き手に対する需要が増加している場合、非正規雇用の賃金はおそらく、正規雇用のそれと比例して上がっていくと言えます。

琴坂 なるほど、賃金の動向を見ることで、女性が金銭的な理由で働かざるを得なかったのか、それとも雇用機会が増えたことで、労働参加が促進されたのか、どちらの理由がより有力かが予測できる、という指摘ですね。

実質賃金の推移が語る
女性の社会進出の真実

ブリント その通りです。そこで我々は、正規雇用と非正規雇用、年齢層と性別を分けたうえで、ここ20年間の実質賃金の動向を分析しました。下記の図をご覧下さい。1988年の賃金を基準の「100」としたものですが、ここから導き出される2つの考察は特に注目に値します。 

 1つ目は、男女ともに、非正規雇用において正規雇用より著しい賃金増加が確認できることです。これは先ほどの説明で言うと、第二の理由、つまり、企業側が非正規従業員を積極的に求め、人材獲得のために賃金を増やした可能性を示唆するものです。

 2つ目は、女性の賃金が、男性に比べて明らかに増えていることです。正規雇用であっても、非正規雇用であっても、女性の賃金は男性よりも大幅に上昇しています。

ロッタンティ これはことあるごとに問題視されていた、賃金に関する2つの格差が著しく是正されつつあることを意味しています。その1つは、男女間の格差です。若い女性は、実質賃金という面からも、日本の労働市場における格差を着実に縮めたといえます。もう1つは、正規・非正規の格差です。まだはっきりとした差はあるにせよ、その差は着実に狭まってきています。

琴坂将広(ことさか・まさひろ)
立命館大学経営学部 国際経営学科 准教授
慶應義塾大学環境情報学部卒業。在学時には、小売・ITの領域において3社を起業、4年間にわたり経営に携わる。 大学卒業後、2004年から、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に在籍。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定のプロジェクトに関わる。ハイテク、消費財、食品、エネルギー、物流、官公庁など多様な事業領域における国際経営の知見を広め、世界60ヵ国・200都市以上を訪れた。 2008年に同社退職後、オックスフォード大学大学院経営学研究科に進学し、2009年に優等修士号(経営研究)を取得。2013年に博士号(経営学)を取得し、同年に現職。専門は国際化戦略。 著書に『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)などがある。

琴坂 これは注目に値する分析結果ですね。これも第1回で触れた正規雇用と非正規雇用の絶対数の比較の分析と同じように、視点を変えてバブル期の位置づけを行うことで、異なる主張ができるのかもしれません。しかし、長期的な推移を見ればたしかに男女、そして正規・非正規の格差縮小が明確に見て取れますね。この結果は特定の年代だけに当てはまるのでしょうか。

ロッタンティ 我々の分析では、世代間の著しい差を示すものはとくに見当たりませんでした。この結果はつまるところ、すべての年齢層に当てはまり、正規・非正規雇用の賃金格差縮小は、ほぼすべての年齢層で見受けられるということです。とくに女性の賃金は、全年齢層において男性と同等またはそれ以上に増加しています。

ブリント前回お話ししましたが、この分析結果は、母親から常々「かわいそうな世代」と言われ、彼女自身もそう思い込んでいた一人の女子学生に対して「あなたはむしろ“恵まれている世代”に属している」と説得するのに役立ちました。

 こうした誤解は世代間の価値観の違いによるものだと思います。この女子学生の母親はおそらく、男性は一家の大黒柱である、といった観念を持ち、自分は労働市場に進出する機会に恵まれなかった、などと考えたことがなかったのでしょう。一方、娘は女性も積極的に社会に出て働くことを理想とする世代です。その現実を“かわいそう“と捉えた母親の言葉を、彼女は鵜呑みにしていたのではないでしょうか。

 こうした事例も含めて、安易な短絡を招かないように、社会的側面と経済的側面の事象は区別して分析することが重要ですね。

琴坂 いずれにせよ、このデータをもとにして考えると、パートタイムに従事するようになった女性の大部分は、生活への必要性からではなく、企業の需要増加により生じたものだと理解できるということですね。しかし、依然として多くの人は、バブル経済の崩壊前を美化して捉える傾向があります。たとえば、労働者の生産性が低下したことが、職の需要を生んだ原因ではないかという指摘にはどう答えますか。

ブリント 我々もその議論を検討してみました。15~64歳の雇用率は、1988年から2010年の間に12%以上の上昇を示しています。この数値だけを見た場合、たしかに国内総生産を上げるにはより多くの労働者が必要になっていると思うかもしれません。

 しかし、総務省の「就業構造基本調査」から年間合計労働時間を参照すると、1988年から2010年にかけて合計労働時間は、15~64歳の人口の減少(−4%)よりも倍(-8%)の減少を示しています。それでも経済規模がマイナス成長ではなく、ゆるやかなプラス成長を継続していることを鑑みると、生産性が低下したという指摘は当てはまらないのではないでしょうか。

ロッタンティ 別の見方をすれば、この間、第1回のデータも示すように就業者数全体が増加する一方で、合計労働時間が減ったということは、以前に比べて仕事がより均等に分担されていることにもなります。労働時間が平均して減っていくこと、これはワークライフバランスが向上している証拠とも言える変化であり、一般的には良いニュースではないでしょうか。

琴坂 なるほど、データの取り方を少し変えるだけでここまで見方を変えることができるのですね。現状をしっかりと理解するためには、改めてさまざまな角度から数値を客観的に確認する必要性があることを感じました。もちろん、「失われた20年」を議論するには、より多様な要因を議論しなければなりません。しかし、こうした基礎統計情報だけでも、非常に興味深い議論をすることができますね。

最終回の更新は、4月20日(月)を予定。

第1回「データが語る『失われなかった20年』 スイスの研究者が覆す、日本の“常識”」
第2回「大学進学率と非正規雇用の意外な関係性 スイスの研究者が日本の労働市場を読む」
第4回「バブル水準の予測から1000万超の雇用創出 『失われた20年』の思いがけない遺産」
 

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