もう一つ、幸福を構成する決定的な要素は「希望」だ。人間希望さえあればほかの大抵のことは無視できるとさえ思える。例えばカンボジアのいまを見てみると、国連によるポル・ポトの裁判が終わり、国中がさながら映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、高度成長期の真っ只中だ。人々はまだ赤土に裸足で大地を駆け回っていて、テレビも電話もまだなのに、その表情はひたすら明るい。それは「今日よりも明日のほうがよくなるだろう」という期待感によるものだ。そう、幸福は時間の概念と不可分だ。翻って、明日が今日より悪くなると予想する場合、人は不安であり幸福ではない。

 さらにこれらの前提となる幸福の条件として「安心」があるかもしれない。「安心」は物理的・心理的両方にかかる概念であり、健康であること、子どもが学校に行けること、暴力を振るわれないこと、権利を奪われないこと、一定の継続的収入があること、地震や台風への備えがあることなど、「準備ができている」と思えることを意味する。準備ができている時、人は幸福を追求できる。

幸福を追求し始めた国際社会

 さて、幸福を構成する要素について、「愛」「生きがい」「希望」「安心」という試案を出したが、私がここで問いたいのは、国際社会やグローバル・ビジネスが幸福の正体やそれを実現する方法を正面から真剣に考えてきたのかということである。

 実のところ国際社会は、いま考えるべき人類の課題として「幸福を真剣に研究すること」に動きつつあるのだ。この動向も受けて本稿では、ビジネスが次の15年に資源を投入すべき、そしてそこで勝っていくべき重要な分野は「人の心」であるという仮説を導きたい。

 2000年に国連が定めたミレニアム開発目標は、2015年までに貧困を撲滅し、男女格差を解消し、普遍的初等教育を実現し、乳幼児死亡率と妊産婦死亡率を劇的に低減することなどを謳った。その目標の半分は達成され、現在は次の15年、つまり2030年までの国際社会の目標が「持続可能性」や「地球環境」にも配慮した形で議論されている。

 これらについては9月の国連総会で「ポスト2015開発アジェンダ」として採択される予定である。概観してみれば、これまでの15年については、「まあよくやってきた」「いろいろ成果が出た」というのが多くの人の見方であると思う。

 しかしすでに国際社会が気づきつつあるのは、単純な物理的・経済的指標だけでは人は幸せにならないということだ。ここまでに挙げた幸福の要素のうち、「安心」は国際社会でも考慮されているものの、「愛」「生きがい」「希望」となると、多くの開発目標の中で明確に位置づけられているとは言い難い。

 それはなぜか。端的に言えば、心の問題は測りにくく指標化しにくいから。国際社会は定量化が簡単な就学率や乳幼児死亡率には投資してきたし、これからも投資していくだろうが、定量的にも定性的にも評価が難しい「人の心」についてはほとんど投資をしてきていない。また、マズローがいう欲求のうち人々の基本的欲求や安全欲求を実現することは国際社会の責務として認識されているが、尊厳や自己実現については個々人が追究するものという暗黙の了解があるのかもしれない。

 これが次第に変わりつつある。ブータンは1990年台から「国民総幸福量」(Gross National Happiness)概念の実測を国内で行っているし、2013年には経済協力開発機構(OECD)が「主観的幸福を計測するためのガイドライン」を発表した。

 また、学術的にもハーバード大学のダニエル・ギルバート教授や同志社大学の峯陽一教授に代表されるように、いかなる要素が主観的な幸福を構成するかという研究と、これをいかに計量するかという試みが多くの学者によってなされている(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』も2012年5月で「幸福の戦略」特集を企画した)。

 2015年から2030年までの国際社会の開発目標であるポスト2015開発アジェンダ案においても、世界から絶対的貧困をなくすための根本的価値として、国連憲章前文や世界人権宣言の第1条で用いられている「尊厳」という言葉に再度光を当てている。