算盤は論理思考の基礎である

石倉 このあたりで、藤本さんご自身のご経歴についてうかがいます。ご自身の名前が会社名になっていますが、これはどちらが先ですか。

藤本 父の勇治が大正7年にトモエ印を商標登録し、東京で昭和4年に「播州屋算盤」を創業し、家紋のトモエ印をブランドマークとして使いました。それが有名になり昭和28年に「トモエ算盤」に改称したのですが、その翌年に私が生まれました。父が56歳の時の子どもで、「面倒だから」とトモエと名づけたとか(笑)。

石倉 2代目となるのは決められた道だったのですか。

藤本 いぇ、いぇ。私は大学で刑法や刑事政策を学び、別の大学で教員免許を取って英語の教師になりました。27歳で結婚して仕事と家庭の両立で充実していたのですが、商社マンだった夫が急逝し、父が「悲しんでばかりいないで、他で働いてみるのもいいじゃないか」と誘ってくれました。そうしたら、入社した8カ月後に父が亡くなってしまったのです。仕方なくというか、それしか道がないので会社を継ぎました。昭和60年(1985年)、算盤ブームがピークを過ぎて、どんどん減少する時期で、算盤塾の経営者たちの間でも「もう、終わりだ」という声がたくさんありました。

石倉 それまで算盤ビジネスのご経験がなかったからこそ、算盤そのものにこだわらずに、数のコンセプトの背景を説明できる算盤の特性を生かして、新しいものを創造する方法を考えられたのですね。

藤本 そうですね。算盤のよい点をどうすれば理解してもらえるか、時代に即して新しい使い方ができないかを模索してきました。世の中はどんどん進化して、テクノロジー全盛なので、算盤は過去のもの、なかなか手に入りにくいものと思われるかもしれません。でも面白いことに、最近はiPadにも無料の算盤がたくさんあるんです。昔は、海外でワークショップがあると算盤を30丁ほど持参したものですが、定員オーバーになると算盤がないので受講できませんでした。でもいまはiPadを使って教え、しかもネットワークで個々の習熟状況を把握することもできます。

石倉 オンラインで算盤を教えようという試みはされているのですか。

藤本 そういう教室もあります。ですが私は、教育は人が人に伝えるもの、人次第と考えているので、教室での授業を基本にしています。

石倉 算盤をどういまの時代にアピールして、復権させるか、と考えると、コンセプトと記号を結びつける算盤の役割は大事ですね。昔は、読み・書き・算盤が学びの基礎といわれて、誰でも子どもの頃この3つを習いましたが、いまはそうではないですね。算盤を習わないこともあって、数字に対する感度がものすごく悪くなり、化学や工学系の志願者が減ってしまったり、ロジカルに考える力も弱まっていると考えられています。そこが日本の弱みになっています。

藤本 本来は日本の強みでなくてはならないのに。

石倉 だからこそ、「算盤は論理思考の基礎である」という立ち位置を宣言して、多くの人に大事なものだと知ってもらうのがよいのではないでしょうか。一対一で教えるという個人指導も大切ですが、普及しようとする場合、このやり方では規模に限界があります。新しいコンセプトを世界に広めようという場合、起業家は一気にガーンと起ち上げ、スケールアップしてしまう。そういう勢いも必要ですね。

藤本 韓国では、ずいぶん昔に算盤教育がなくなり、30年ぐらい前に韓国のテレビ局が取材に来たときは、「こんな古臭いものをまだつくっていたんですね」と言われました(笑)。しかし7~8年前に、ITベンチャーで成功した方が韓国で「算盤教育をなくしたのはよくない」と投資を始め、美人女優さんを起用したCMを流したりして一挙に算盤教室が復活しました。私も韓国に呼ばれて講演しました。そのビジネスを立ち上げた起業家は算盤教室の流行に火をつけたあと、さっさと算盤教室の事業を売って次のビジネスに移りました。

石倉 それぐらい思い切ってチャレンジしてみるべきですよ。ロジカルな考え方がこれからの時代に必要だ、理数系が弱いといわれている中、算盤のよさをアピールするには最適な時期だと思います。
 ところで、普及しようという場合、算盤塾のライバルは、やはり学習塾ですか。

藤本 ライバルというよりは、少子化なので、中学受験向けの塾などは下の世代のマーケットをつくろうと、算盤にも取り組み始めています。

石倉 だから英語と算盤などの組み合わせがいいのですね。他との違いを強くアピールして、一歩踏み出すべきところにはどんどんPRする。それが、算盤のじり貧をひっくり返す方法ではないでしょうか。

藤本 玉川学園の幼稚園では英語だけのクラスを開講すると聞いていますが、そういうところにも算盤を導入できないかなと思っています。

石倉 論理的な思考や英語との親和性というだけでなく、数の背景を理解する役割、目で見える、指で触る、音が聞こえるという五感に訴えた算盤のデザインは、いま、世界でも関心が高い「テクノロジーと感覚を」という流れにもぴったりだと思います。算盤はコンピューターの原型でもあるということですから、世界に広くアピールする方法やアイデアをどんどん考え、実行するよいチャンスだと思います。今日はありがとうございました。

 

【対談を終えて】

 藤本さんは、「算盤を世界に」広めることを目指しておられる、海外で珠算教育活動を始められたと聞いて、一体どんな方なのだろうと、とても興味を持ってお目にかかりました。

 こじんまりしたオフィスでお話をうかがったのですが、算盤の歴史、珠の形を変えたり、数を変えたりという日本でのイノベーション、またコンピューターの原型が算盤らしいということ、しかし速さを競うものと位置づけられてしまったため、衰退してしまったことなど、新しい発見がたくさんありました。実際に算盤をつくる一つのステップをやらせていただいたことも楽しい経験でした。

 お父様が算盤の職人として創業された会社を急に引き継がれたわけですが、数のメカニズムを理解するため、五感を用いて学ぶ道具である、とソフトな側面に注目して、算盤をハードとソフトの組み合わせとして捉え直されています。つまり、算盤は1、2、3という数字と「もの」が1つ、2つ、3つあるという現象を結ぶ「コンセプト」を「見える」ものにする道具なのです。また「見える化」だけでなく、指で動かす、音がするという算盤のリアルな実体験がとても興味深いと思いました。最近はテクノロジーの分野でも、通信手段を用いて触感、においなどの五感を伝えようという動きがありますから。

 私は算盤のことは知っていますし、たぶん小学校などで習ったと思うのですが、算数が好きな割にはあまり使った記憶がありません。でも、その場ですぐできるようにならない、だからこそ、たとえば両親に教えてもらいながら、だんだんうまくなっていくことを実感できる。いま、とかく失われがちな家族のつながりを伝承できるすばらしい道具になるのではないか、未来と世界につながるすばらしいコンセプトを伝えることができる、身近なツールとして限りない可能性があるのではないか、とも感じました。

 藤本さんが、世界にこうした「SOROBAN」の特色を広く伝える活動をされていることはすばらしいと思いました。同時に、うまくアピールすれば、もっと大きな可能性が開かれるのではないか、とも思いました。そこで思い出したのが、将棋です。将棋は中国から到来したものですが、日本でイノベーションが起こり、チェスとも違う複雑で奥の深いゲームになっています。最近では、テクノロジーの力でそれまでは考えられなかった方向が開かれ、日本でも世界でも以前よりずっと注目されています。

 算盤も、数の背後にある秘密を考える、ロジカルな考え方の強化、というポジショニングや、人を介して学ぶ楽しさ、自分の進歩が誰にでも客観的に見える醍醐味などをうまく伝えることができれば、まだ飛躍の機会が大きいと思います。興味が失われつつある理数系の復権という点でも、これからできることはたくさんありそうです。ぜひ応援したいと思います。