シリコンバレーで実感した
「山師が産業を創る」

石倉 MBAをとった後、シリコンバレーに行きたいと思っていたのですよね。

徳重 それまで蓄積してきた経験すべてをリセットするためのMBAですから、どうしてもシリコンバレーの近くの学校に行きたかった。当時、スタンフォードは無理にしてもバークレーぐらいは合格するだろうと思っていました。しかし、どちらにも受からなかった。「シリコンバレーに行く、起業する、そのためのMBA!」と周囲に大見得を切ってしまったので、これは自分にとって大きな挫折でした。かっこ悪かったですね。結局サンダーバードに行きました。

石倉 サンダ―バードだから、挫折ということはないと思いますよ。でも、ご自分としては、目指していたビジネススクールに入れない、進学で挫折感という経験を30歳になってからしてしまったのですね。

徳重 その挫折感と悔しい気持ちは卒業後の仕事にも大きく影響しました。大見得を切ってすべてを投げ捨てて渡米したのに、MBAを取得して日本に帰り、アリコジャパンあたりに転職したら、何のための決断だったか分からなくなる。ぼろぼろになっても前に進むしかない、僕自身のリベンジだ、絶対にシリコンバレーに残るんだ、という気持ちでした。

石倉 シリコンバレーでは、何をされていたのですか。

徳重 就労ビザの関係で米国の企業にはなかなか入れませんでした。ただ、日本の「ビジネスカフェ」というインキュベーションの会社があったので、「給料はいらないから会社だけ貸してくれ」とお願いして、箱を借りながらITベンチャーの立ち上げ支援などでコンサルティング・フィーをもらうという生活を5年ぐらいしていました。

石倉 簡単に5年といいますけれど、シリコンバレーで5年やっていくというのは、すごい経験だったのでは?

徳重 大企業とベンチャーのプロトコルの違いを痛烈に学びました。起業家のよい面も悪い面も見られましたし、日本に出ていくベンチャーの手伝いもしました。当時うれしかったのは、経産省の人たちから「シリコンバレーでは次から次へと新しい産業が創られていっているが、実際どう創られているのか」と聞かれるようになったことです。こちらはベンチャーなんて山師みたいなものだと思っているのに、あちらは「産業の創造だ」と言う。「山師と産業を創るのは同じなのか」と気づかされて(笑)、自分のやっていることの社会的な意義を実感するようになりました。

石倉 シリコンバレーに行った日本企業のスターエンジニアが自らベンチャーを立ち上げて成功するという事例は、まだ少数に限られ、次々に広がる様子はありませんね。

徳重 日本でもどんどんベンチャーが現れ、しかも優秀な人が起業していますが、それがシリコンバレーのようなメガベンチャーになっていかない。私が「メガベンチャーが必要だ!」と盛んに言っているのも、新しい産業を創造するためには、メガベンチャーがいくつも誕生してくるようなレベルにまでならないと意味がない、と感じているからなのです。

石倉 まさにメガベンチャーなくして新しい産業の創造はない、だから自らメガベンチャーを目指すという使命感、ですね。

徳重 先日、ある大手企業のプロジェクト・マネジャーが5~6人来て、テラモーターズのやり方を知って、「こういうプロセスやアプローチのほうがよいと思うけれど、わが社ではとても変えられない」と嘆いていました。「なんで変えないんですか。確信、確証があるならば変えればいいじゃないですか」と言うと、逆に「なんでそんな簡単に変えられるんですか」と言われてしまいました。

石倉 世の中が大きく変わっているのに、いまだに昔からあるプロセスで仕事を進めようとしているのですね。テラモーターズでは、周囲の状況が変わったときは、どうするのですか。

徳重 テラモータ-ズなら、プロセスとか上司とか関係なしに結果をどう出すかがすべてです。そうなると、世の中が変わる中、会社のプロセスを変えていくのは当たり前です。変えるとマイナスになるとか、そんなに簡単に変えられないというのは、「生きるか死ぬか」という状況じゃないから。生き残るために必要な条件や自らの使命を分かっていないな、と思いました。事業で勝利するには、組織改革もやり方の変更もすべてゼロベースでオプションとして考えることが必要なのに、それができない。大企業がズレている証左です。
 先ほど、進学の挫折感を乗り越えるためのシリコンバレーと言いましたが、そういう挫折感こそが私のエネルギー源ですし、失敗したらそれがまたプラスになるし、新たなエネルギーを貯めるプロセスになります。でも、大企業ではそう考えない。なぜチャレンジできないのか、不思議ですね。