他の研究でも、そのようなメリットが示されている。外食産業に関するある研究では、飲食スペースにいる客が料理人の仕事ぶりを(iPadのビデオ会議ソフトで)実際に見た場合、これまで以上に料理人の努力の大きさに気づき、サービスをより高く評価することがわかった(英語論文)。この効果は料理人と客の両方に表れた。つまり料理人は客からいっそう評価されていると感じ、客の姿をはっきり目にすることで、さらに努力を重ねた。その結果、料理をもっと手早く仕上げ、客は料理の質が上がったと述べた。双方に透明性を確保することで、プラスのフィードバックが相互循環し、料理人と客の両方に価値がもたらされたのである。

 しかし透明性は、時として意図せぬマイナスの結果をもたらすのも事実だ。記録された行動はマネジャーや他のだれかに仔細に検証され、疑わしい行動は処罰の対象になる――そう知っている従業員は、求められることだけを淡々とこなし、ほとんど意味がない手順にさえ隷属的に従うだけとなるおそれがあるのだ。ある工場の製造現場では、過度の透明性によって創造性と生産性が阻害される事例が実際に発生した。組み立てラインの作業員たちが、時間の節約や業務の相互学習という有益な試みを行っていながら、そのことを上司らに隠していたのだ。なぜなら、自分たちを監視していると思われる人全員に、そのことを説明しなくても済むようにするためだ(英語論文)。

 行き過ぎた透明性は、創意工夫に基づく行動を抑制しかねない。ならば警察は、行動記録の分析によって警官の実績を向上させるにあたり、どうすれば「個々人の知識と経験」に基づくリスクテイクや問題解決(人命救助に必要とされる)を妨げずにすむのだろうか。

 その答えは行動規範の強化ではなく、適切な判断力の養成と道義的な行為の奨励にあると私は考える。カメラを従業員の査定や処罰のためではなく、指導と啓発のために活用している企業から、ファーガソンに限らずどこの警察署も学ぶことができるだろう。

 たとえばアメリカのあるトラック会社は、けん引車両すべてに車載カメラの〈ドライブキャム〉を設置し、路上と運転席の様子を録画している。その目的は安全の向上だ。指導員は個々の運転手と一緒にビデオを検証する。運転手はビデオが自分に不利益をもたらす形で使われるおそれがないと知っているので、指導員からのフィードバックを素直に受け入れている(運転手が故意に違法行為を働いたと思われる場合のみ、マネジャーが報告を受けビデオを視聴する)。また、UPSでは全トラックにセンサーを設置し、運転手の行動を逐一追跡して配達時間の短縮を図っている。そのUPSにしても、チームスターズ(トラック労働者を中心とする北米最大の労働組合)との基本契約により、経営者がそうしたデータを従業員の解雇のために使用することが禁じられている。

 警察をはじめ多くの組織は、懲罰的ではなくもっと建設的な形で従業員を監視することを考えるべきだ。司法当局や政府機関が一般市民に対して、(正当な理由に基づいて)透明性を保つことは必要だ。ある程度の透明性が確保されれば、責任の所在が明らかになる。しかし、プライバシーの領域――先のトラック運転手の例のように、ミスから学び発展的な指導が受けられる環境――を尊重せずに透明性を高めようとしたら、逆効果になるだろう。あらゆる選択や些細な失敗がだれにでも筒抜けで、第三者が難癖をつけるために記録されていたらどうなるか。誰もが、悪い意味で安全策を取るようになるだろう。国中の人々が審判者となって行動を細かく観察する、映画『ハンガー・ゲーム』に描かれていたような監視下で、生産的な仕事ができる人はそう多くない。

 とはいえ、アメリカでのスマートフォンの普及率はいまや70%以上で、そのほとんどにビデオカメラが搭載されている。すると、新たな疑問が持ち上がる。警察の業務はすでにどれくらいビデオ撮影されているのだろうか。


HBR.ORG原文:How Being Filmed Changes Employee Behavior September 12, 2014

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イーサン・バーンスタイン(Ethan Bernstein)
ハーバード・ビジネス・スクール組織行動学科助教授。経営学を担当。