この「顧客の創造」とは、実は「経営者も自由人たれ」あるいは「自律的であるべき」の言い換えなのである。ドラッカーが企業経営者に求めているのは、アンケートを取るなどして顧客の声を聞いて刺激反応的に売れる商品をつくればいい、といった受動的な態度ではない。それは、お金儲けのため、あるいは顧客の声に従うだけという意味で、他律的で受動的な動物的行動であって、自律的な人間的な行動ではないのである。

 ドラッカーが求めているのは、逆である。経営者も人間として生まれたからには積極的に自由を行使し、イノベーションを起こし、能動的に新製品を顧客に問う。そして、もしそのような革新的な製品が受け入れられるならば、そこから新しい顧客が生まれ、さらにそこから新しい産業が形成され、最終的に新しい自由な産業社会が形成されることになる。

 ドラッカーは、このように企業経営者に対して強く自由の行使を要求した。経営者も人間として生まれたからには自由意志にもとづいて「顧客を創造する」ような新ビジネスを展開すべきだと。それが、人間として生まれた義務であり、人間としての証しとなるという。

 もし経営不振で、従業員を平気でクビにするような経営者がいるならば、それは従業員がクビになるべきではなく、顧客を創造できない、新しい需要を生み出せない無能な経営者に問題があるのであり、まさにそのような経営者の方がクビになるべきだというのである。

ドラッカーの人間主義的「目標による管理」

 この同じ人間の自由の行使を、ドラッカーはミドル・マネージャーに対しても要求した。自由な産業社会を担う明日の経営者を育成するために、彼は企業内のミドル・マネージャー、一般従業員に対しても自由の行使を求めた。

 経営者がミドル・マネージャーを管理する場合、上から強制し駆り立てるような、命令と服従の原理にもとづく管理を批判する。上からの命令にひたすら従うようなミドル・マネージャーの他律的なあり方を嫌う。このようなマネジメントでは、自由を行使する明日の経営者が育たないからである。アイヒマンのような魂のない中間管理者を育成し、個人としての存在価値を喪失し、全体だけが価値があるというドラッカーが最も嫌悪し、アーレントが批判した全体主義を生み出すことになる。

 ドラッカーは、経営者があくまでも「自己管理による目標管理」によってメンバーを管理すべきだと主張した。それは、企業全体の目的の範囲内で、ミドル・マネージャー自身が自律的に目的を定め、それを達成するよう自己統治する。そして、その自由の行使に対して責任を取らせる。そういった自律性を引き出す管理論なのであり、自由と責任の原理にもとづく管理なのである。それは、ミドル・マネージャーの自律性を引き出す人間主義的な管理論なのである。

 もちろん、その自律性には責任が伴うだろう。だからこそ、責任が取れない人間はミドル・マネージャーにはなるべきではない。命令に服従する方が楽だという人物、自由を行使する勇気のない人は管理者には適していないのだ。

 またドラッカーは、一般従業員に対する人事管理論についても同様に、従業員に単にたくさん給料を与えればよいわけではないという。お金のためだけに働かせるような他律的な人事管理を嫌う。

 たしかに、従業員に十分な賃金を支払う必要があるのだが、それだけでは不十分である。従業員もまた自由人として自らの仕事にプライドをもってみずから自律的に働くことが大事であり、実際にそのような意識を持っているという。そのために、経営者は、従業員一人ひとりに最大の力を発揮できるように最高の舞台を用意すべきなのである。

 以上のように、経営者のみならず、中間管理職、そしてロアー(現場監督者等)、従業員、労働者すべてが自由に行動することによって、企業は自由人の場となる。