さて、もしこのような自由意志にもとづく自律的行動に失敗したらどうなるのか。その失敗の原因は他でもなく自分自身にあるので、行動の責任もまた自分自身にある。つまり、自由な自律的行動には常に責任が伴うのである。言い換えると、自分に責任がある行動は、自由で自律的であるという意味である。

 このように、カントによると「自由」と「責任」は対概念なのである。

 人間に自律的意志それゆえ自由意志があれば、人間は自分の外にある原因、つまりコストや利益あるいは制度にとらわれずに、自律的に行動できることになる。ゆえに、カント的人間の自由意志を引き出すことができれば、会社は最大コストを負担することなく、完全安全性を追求できる。

 つまり、経営者は、まず人間の他律性を利用して経済合理的にある程度の安全性を実現し、さらに人間の自律性を利用して、個々のメンバーが自律的に高い安全性を確保するということである。

 この人間の自由意志や自律的意志を引き出せれば不条理は解決できるというのが、カント的解決の方向性なのである。 

 これを原子力発電所の安全性をめぐる管理の図2を用いて説明すれば、まず経営者は人間の他律性を利用し、安全性をめぐる制度を形成し、安全設備を導入して他律的に従業員に最適経済安全性を到達させる。その点まで、まず経済合理的な「目標による管理」を展開する。

 そして、ここからさらに従業員の自律性を信じ、従業員個々人が自らより高い安全性へと向かうように自律性を引き出す。これが人間主義的「目標による管理」である。

 この場合、従業員にとって付加的コストが発生する。しかし、これは企業が支払うべきものではなく、個々人が自己負担することになる。自律的な行動の場合、人間はそれに対する報酬を要求しない。というもの、この場合、報酬を得るために他律的に行動しているわけではないからである。一人ひとりが自由意志のもとに行動しているのである。

 このような人間の2つの側面をしっかり認識して従業員をマネジメントできれば、不条理を回避できる。つまり、経済合理性を追求しつつ、同時に完全安全性も追求するようなマネジメントが可能になる。

ドラッカーの自由主義経営

 こうしたヨーロッパの伝統であるカント的自由と責任の原理を経営学に持ち込み、人間主義的な「目標による管理」を提案したのがピーター・F・ドラッカーである。

 彼は、ナチス・ドイツ全体主義を根絶するためには、新しい自由な産業社会を形成する必要があり、その担い手が現代企業であると確信した。そのため、そのような役割を担った企業経営者の目的として功利主義的な利益最大化仮説を認めなかった。ドラッカーが企業経営者に求めたのは、「顧客の創造」であった。