なぜ、アイヒマンは大量のユダ人を効率的に殺したのか。彼の答えは明快だった。上からの命令に忠実に従ったのである。

 上から与えられた数値目標をきわめて合理的に達成したに過ぎない。彼は、命令されれば、親でも殺していたと述べている。アイヒマンは、究極的悪人ではなく、ごく普通の小心で平凡な人間だったのだ。それゆえに、アーレントはこれを「悪の陳腐さ」と呼んだのである。

 究極の悪人ではなくても、だれでも悪しき行為を遂行することができる。これが衝撃的だった。命令と服従の原理にもとづく目的合理的な組織の中に置かれると、だれでも簡単に悪しき行動をとることができる。この事実こそが衝撃的なのだ。

 そこには、感情も魂も必要ない。ヴェーバーが予言した鋼鉄の檻のような組織の中では、メンバーは与えられた目的を合理的に他律的に達成するだけなのだ。そのような組織は、一方で製品を効率的に生産することのできる組織であるが、他方で、必要ならば人間を効率的に虐殺することもできる組織でもあることが認識された瞬間だった。

経済合理的目標による管理の限界

 このようなアイヒマン的「目標による管理」の何が問題だったのか。

 たしかに、目標による管理によって目標はきわめて効率的に達成することができるだろう。それゆえ、このような管理は企業にとって非常に有効であり、いまでも効率的であると思われる。

 しかし、問題は与えられる目標内容である。もし悪しき目標が与えられると、このような組織は目的の良し悪しを問うことなく、合理的にその目的を達成しようとするだろう。不正を犯してでも利益を上げたいならば、そのような目標を立てることができるかもしれない。そして、そのような目的は合理的に達成されることになる。つまり、その本質はユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンを生み出すような組織構造だということである。

 上層部で不正が行われると、それが発覚しないように合理的に隠ぺいする組織になる。それゆえ、もしそれが発覚したならば、どの従業員もみなアイヒマンと同じように「上からの命令に従っただけだ」ということになるだろう。