90歳の日本人の普通の生活とは

――前回、少子高齢化という社会現象について、「少子化」は社会学的現象で「高齢化」は生物学現象あり、少子化には打つ手があるけれども高齢化は逆転できないのに、別々の現象をごちゃ混ぜにしているから何も見えてこないと教えていただきました。

 そうです。それともう一つ問題なのは、二つの現象を並べて一つの表現にすると、関係ないものを、あたかも関係あるかのように錯覚してしまうことです。

 例えば、「僕が落第点だったのは、君が100点取ったからだ」というのはおかしい。君が100点取ったことと、僕が落第点だったことの間には、因果関係も相関関係もありませんね。つまり関係ない。これはとてもわかりやすい例ですが、こういう誤解を招くような言い回しはあちこちで見聞きします。「少子高齢化」もその一例でしょう。少子化も高齢化もそれぞれ独立の現象です。

 たしかに、子どもの数が減ることは非高齢人口が減ることですから、計算上は相対的に高齢者の数は多くなります。でも、高齢化社会の本質的な問題は、そういうことではありません。

 動物は子孫を残すと速やかに死んでいくことが多いが、逆の場合として、ばあちゃん象が活躍する象の事例は有名な話だ。そして人間も、じいちゃん、ばあちゃんが多く存在する。ばあちゃんの知恵が役立っているのだ。それが今や、ひいばあちゃん、ひいひいばぁちゃんが存在する時代が来た。人類の経験したことのない未知の世界だから大変なのです。

――人生90年時代といわれても、ピンときません。

 90年の人生設計には何が必要かと聞かれて、はっきり答えられる人などいませんよ。

 明治時代の40歳、大正の40歳、昭和の40歳、平成の40歳、どの時代も40歳の人たちの標準的な暮らしぶりは、時代により多少スタイルは違っても、だいたいイメージできます。夫婦に子ども2,3人で、一家だんらんという型がありますよね。これまで何度も繰り返してきたことです。

 では、90歳の人の標準的な生活って、どういうものでしょう。90代の価値観やライフ・スタイルと聞かれても、そんなことは誰もわからない。経験したことがないからです。

 何の役割をして、どんな目的を持って、何を欲しがり、どういう生活をしていくのか、そういうことの先例もないし、自分でもそんなに長く生きると思ってもおらず、考えたことがないから分からない人たちが、ものすごく増えていくのです。社会の経営という視点から見たら、何を望んでいるかわからない、どう扱っていいかわからない人たちがどんどん増えていく。これが、高齢化社会です。

 少子化とはまったく別の問題だということがわかってもらえたのではないですか。少子高齢化といって、少子化と高齢化と一緒くたにしていては、課題設定できないといっているのはそういう意味です。

――アメリカは、少子化は起こっていないけれども高齢化は進行していますね。

 アメリカでも、高齢者をこれまでのようにナーシング・ホームに入れてケアすれば済むという時代は終わろうとしています。リタイアして後、数十年生きてしまう高齢者をどう扱っていいかわからないという局面を迎えているのです。社会保障予算ももたなくなります。その意味で高齢化という現象は日本と同じです。

 今後はアメリカでも、高齢化社会の経営について課題設定が行われていくでしょう。でも今回このテーマに限っては、残念ながらアメリカが課題設定してくれるのを待つわけにはいきません。日本のほうが圧倒的な速さでこの現象にのみ込まれていくからです。