――なぜでしょうか。どこにその壁があると思われますか。

 経済学者や経営学者の多くは、「紙と鉛筆」とパソコンで組み立ててしまう。ナチュラル・サイエンスの世界では、「紙と鉛筆」の時代はすでに終わっています。アインシュタインも湯川秀樹も紙と鉛筆だったのだと思いますが、今の時代、研究は装置産業化しています。天文学も物理学も、装置と研究テーマが表裏一体化していますね。

 天文学もガリレイ以降、望遠鏡技術の発展とともに新しい理論が展開しています。最近では反射鏡の口径8メートルのすばる望遠鏡の次に口径30メートルの望遠鏡が計画され、それによる観測で宇宙の起源に迫ろうとしています。

 小柴昌俊先生のニュートリノの検出はスーパーカミオカンデ、最近のヒッグス粒子の存在を確認したのはラージ・ハドロン・コライダー(LHC)と、両方とも巨大装置の生んだ成果です。

 それに対して人間活動を扱う経営学は、装置化はできないのでしょうが、新しい方法論が出てきません。相変わらず紙と鉛筆とパソコン、インタビューという手法しかないのが現状でしょう。なので、先ほども言ったように、経営・ビジネスに関する雑誌を見ても、新しい方法論は見当たらないのです。

――限界がありますね。

「オロナミンC」のような、多少行き当たりばったりで、もう後に引けないから突破していくといったプロセスは、経営学のアナリシスに乗りません。仕方なく後になって論じても、それは死体解剖と同じです。

 その瞬間、瞬間に、開発者たちが何を考えて何を判断したのか、どこでどんなヘマをやって、何で取り返したのか。そういう同時的で生きたストーリーにこそ意味があるのですが、それを書くのは経営学者の仕事とは見なされず、非常に難しいところです。

――分析思考、データ思考に偏ってしまいますね。

 データ思考といっても、最近のビッグデータ・ブームのように、統計学の基本的な訓練ができているのか分からないまま、データ・アナリシスといってデータをもてはやすのは非常に危険です。統計データの分析は相関関係を教えてくれるが、因果関係は教えてくれないということをみんなが理解しているのかどうか大いに疑問です。相関関係が分かっても役に立たないことは多いのです。

 ですから、課題設定につながる因果関係の仮説を持つためには、データにだけ頼るのではなく、実際に何が起きているのかという生の現場や現象を皮膚感覚でとらえることが必要なのです。

 課題設定の方法論に定型はないと言ったのは、こうして「あれも、これも」やってみる、試してみることが、課題を発見する上でとても重要であるという意味です。