いつか宇宙船をつくることが夢

 いまよりは寛容だとはいえ、科学技術の進歩に対する理解を得ることはいつの時代も容易ではありません。これだけ大規模なプロジェクトを進めるのは、相当苦労したはずです。その意味では、ISSの企画を立ち上げた1984年に関わっていた人や、プロジェクトとして動き始めた1990年前後に関わっていた人、つまり、日本でこのプロジェクトを立ち上げた人たちを尊敬すべきではないでしょうか。

 国会で批准し、条約を締結して進めるような国家的なプロジェクトを実施することは、おそらく今後はいっそう難しい挑戦でしょう。私たちも懸命に取り組んできましたが、いちばんの功労者、拍手を送るべき人はゼロから立ち上げた人々ではないでしょうか。彼らなくして、アメリカ、ロシアと対等に戦えるような現状はないと思っています。

――筒井さんも、日本の宇宙開発に貢献したいという想いを持って入社したのですか。

 いえいえ、偶然が続いてここまで来ているというのが正直なところです。子どものころに天体望遠鏡で星を見ることもありましたが、宇宙にそれほど強い興味があったわけではありません。高校のころは理系に興味を持っていましたが、工学系に進むかどうかも直前まで決めていませんでした。大学で航空学科に進むことになったときも、将来まで深くは考えていませんでした。

 宇宙開発事業団(NASDA、JAXAの前身)に就職したのも本当に偶然でした。NASDAの募集を目にした友人が「こんなのが出ているけど、お前も受けるか」と電話を入れてくれたので、初めて受ける気になったほどです。入社してやりたいこともない、少し変わった新入社員だったと思います。

――偶然のつながりで入った道にもかかわらず、仕事に対する熱意は人一倍感じます。

 ここに来たのは偶然でしたが、宇宙関連の企業に入るからには、世の中の人が「まだ形がわかっていないもの」に携わりたいという考えだけは持っていました。ロケットや人工衛星は、それなりに形が見えています。1989年に就職してからの2年間は研修のような形で種子島宇宙センターに配属されましたが、1991年に事業部に配属されるときの希望では、よくわからないことをやっているところに行こうと決めていました。

 ISSの企画が始まったのは1984年ころ、プロジェクトとしてある程度予算がついて基本設計が始まったのが1990年ごろです。よくわからないプロジェクトが前の年から始まっていることを知り、そこを希望したのがターニングポイントになりました。昔からよくわからないものに惹かれる傾向があって、後追いでは満足できなかったと思います。

 もしお金も時間も無限にあるとしたら、自分たちで宇宙船をつくってみたいという夢はあります。実際、いまの日本の技術レベルがあり、お金と時間があれば不可能ではない。お金がかかるからダメ、失敗が怖いからダメ、それが理由で手をつけられないのだとしたら、少しずつでも理解してもらい、その状況を変えていきたいと思います。