これを視点とすれば、価値のあるモノそのものを創造することはできないことがわかる。「自分が本当によいと思うものを作れば良い」と言われることがあるが、関心相関的観点からみれば、これはいくらでも当てはまらないことがあることがわかる。なぜなら自分と、他人の関心が同じとは限らないためだ。「価値創造」とは「人々の関心に応じて、新しい価値とみなしうるものを作ること」なのだ。

合理的判断の徹底が組織を滅ぼす

 「価値の原理」は、「認識の原理」でもあり、人間は特定の欲望、関心、目的からしか価値を認識できない、ということになる。そのため、関心がないことはそもそも目にも入らない(存在化しない)ということが起こる。服や鞄、オシャレな小物、雑貨、何でも良いのだが、自分がまったく関心のないものを売っている店については、いつもその店の前を歩いていたとしても、「あそこにあの店あったよね」と聞かれた時に、わからなかったという経験はあるだろう。それは、あなたにとっては存在化していなかった、ということに他ならない。

 このように人間は関心の範囲内でしか価値認識ができない。そのため、ある会社で最先端部門を強化したいという関心(目的)をもてば、そうしたスキルを持つ人に価値を見出すが、そうした関心を持つ前には、業界で1、2を争う実績を持つ人が面接にきていたにもかかわらず、その価値を認識できず、今やライバル会社で活躍している、という不合理は、論理的思考が優位な人ほどそのときの関心や目的に沿って合理的に判断するため起こりやすい。目的(関心)設定が間違ったとき、論理的ゆえに確実に失敗するということが起こるのである。

 「イノベーションのジレンマ」とは、「優良企業は、主要顧客の意見を尊重し、市場規模が小さい技術には目もくれず、気がついたときには新技術の開拓者によって市場が独占されてしまう」といった現象を言い当てたものがであった。これはまさに特定の関心から合理的に判断した結果、必然的に失敗するという現象に他ならない。

 しかし、これはイノベーションのジレンマに限ったことではない。リーマンショックを引き合いに出すまでもなく、ロジカルシンキングに長けた人が集まる巨大企業で、なぜかくも未曾有の失態が続くのか。それは論理的な人ほど、「合目的的判断の落とし穴」に嵌まる可能性は高いためだ。