JAXAで最もハードな部署
「予算課」で発揮したチーム力

――ゼロからのスタートで苦労も耐えないと思いますが、最もつらかった経験は何ですか。

 好きで始めたことなので、真剣に辞めようと思ったことはありませんでしたが、「辞めてやる!」と思うほどきつかったことはありました。それは経営企画部の「予算課」(現・推進課)という、JAXAの予算全体を取りまとめる部署に2年間在籍したときのことです。

 予算課は役所との予算折衝を行う部署で、JAXAで最もハードな部署と呼ばれていました。役所からさまざまな調べ物や質問が寄せられるのですが、そのタイミングは夜中。ただし、回答期限は翌朝一番です。手持ちの資料で回答できればいいのですが、それができなければ各方面の担当者を叩き起こすしかありません。帰宅が午前2時、3時になることは日常茶飯事で、予算要求時期は、非常に厳しい折衝が毎日のように続きました。

 ただし、役所が敵というわけではありません。JAXAを所管しているのは文部科学省ですが、担当の課長代理クラス、係長クラスの方とはほとんど毎日のように電話やメールでやりとりをしていました。そのうちに、彼らの人柄もわかってきますし、こちらが誠実に対応すれば、先方も柔軟に対応してくれます。むしろ、事業にとって本当に必要な予算が減らされないように、JAXAと文科省がチームとなって守っていくことのほうが多かったと思います。

――宇宙開発は超長期の仕事です。場合によっては、携わったプロジェクトのゴールを見られない可能性もあると思いますが、そのなかで仕事を続けていくモチベーションはどこにあるのですか。

 私の場合、幸いにして種子島宇宙センターにいる2年間で、初の国産ロケットH-IIの1号機から3号機までの打ち上げに関わることができました。打上げ前の日々の巡回点検のときには、射点に立っているロケットの雄姿を見ていますし、打ち上げが終わったあとの設備点検では、射点に何も残っていない焼け焦げた設備の状況も見ています。宇宙にモノを送るということはこういうことなんだと知り、存在感と空虚感がないまぜになったものが私の宇宙開発の原体験になっています。

 また、国際宇宙ステーション(ISS)の「きぼう」日本実験棟や、「こうのとり」(宇宙ステーション補給機)など、さまざまなトラブルを克服しながら、自分のつくったものが宇宙で動いている姿を目にしています。それがモチベーションにつながっていますね。

 ただ、おっしゃる通り、人によっては10年かけて衛星を開発し、次の衛星の開発の途中で退職してしまう方もいると思います。その意味では、目に見える形での達成感を得られる機会が多く、私は幸せだと思います。

――そうした達成感をチームとして感じる機会はありますか。

 JAXAは、一般の大企業と比べると小さい組織ですが、それでも2000人の職員を抱えています。人工衛星開発部署には衛星の文化があり、ロケット開発部署にはロケットの文化があり、宇宙ステーションの部署にはNASAも関係する宇宙ステーションの文化がある。それぞれが仕事をきちんと果たしているからこそ大きな成功につながると思いますが、基本的に各部署は独立して活動しています。

 ここから真のチームとして一緒に活動するためには、文化の違いを乗り越えなければいけません。そこにはまだ大小の問題があり、たとえば用語の使い方一つにしてもそう思います。「きぼう」日本実験棟をJEM(Japanese Experiment Module)と表現するように、 JAXAでは英文字の略称を使用することが頻繁にありますが、同じ表現でも微妙に違う意味で使われていることもあります。

「ほかの部署に行ったら、まず略語集を手に入れろ」と言われるほど、最初は会話が成り立ちません。より大きな一体感をつくり上げるためには、まずはそういった小さな垣根から始めるべきかもしれませんね。