日本がフロント・ランナーになるチャンス

――戦後、長く続いた、アメリカに追いつ追い越せのキャッチアップ思考から脱して、再び日本が自力で先進課題を的確に設定したうえでそれを解決して世界に存在感を示すチャンスなのですね。

 それができれば、実力があるにもかかわらず、何故か影響力を発揮できず、過小評価される時代は終わります。「超高齢化社会の経営」という課題設定とその解決が他に先駆けてできれば、その普遍性を世界に問うことになるからです。それが納得感を持って受け入れられれば、世界が日本に注目せざるを得ない時代が来るはずです。

 18世紀におけるフランスの王様ではなく国民主体の「国民国家」、19世紀におけるイギリスの「日の下、新しきものなし」というキリスト教的発想から脱却した「進歩と進化」という普遍的に受け入れられた新しい思想が20世紀にはアメリカの「物質的に豊かでおだやかな中産階級(アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ)」になり、世界的に受け入れられていたように見えました。しかし、それが21世紀の初頭に9.11によって壊れてしまいました。イスラム教世界では中産階級が原理主義者になり、テロリストになることもあるのです。

 今、21世紀の普遍的思想が求められていると言えます。それは日本にもそれを提示するチャンスがあるということです。歴史の循環なのかもしれません。

――循環的にそういう時代がめぐって来るのですか。

 歴史を見ると、そう考えるのが自然だと思いませんか。常に欧米が進んでいたわけでもなく、中国にしても18世紀までは歴史の表舞台に立っていたが、19世紀から20世紀にかけて消え、21世紀にまた表舞台に立とうとしていますよね。私の経験した建築の世界でも、20世紀における近代建築の思想的なリーダーシップはドイツ、フランス、アメリカ、イギリス、日本とぐるぐる回っていたように思います。そして、今後もそれを繰り返して行くのではないかと思います。

 今、もっと幅広い分野で日本がフロント・ランナーになる機会が、循環的に来ていると考えるべきでしょう。その千載一遇のチャンスを活かせるか否かが、問われているのです。

 もはや「グローバリズムの時代に内向きすぎる」日本人といった、自己批判的というより、自己憐憫的なセルフ・イメージは捨てたほうがいい。それなら逆説的ですが、ひたすら「内向き」になって、まだ、誰も答えを持っていない、超高齢化社会をつじつまが合うように経営するための「社会システム」をどうデザインするかという課題に立ち向かい、できることなら「官」への単純な依存や市場メカニズムへの楽天的な依存ではなく、「民」の自己規律としての「公」の役割の拡大による「社会システム」の確立とそれを支えるように価値観や世界観を転換できるかどうかに全力を尽くすときなのです。

 次回は、その具体的な方法についてお話したいと思います。

(構成・文/田中順子)