明治維新の課題設定

――そして産業革命へと、すべてがつながっていくのですね。

 日本は19世紀末にイギリスから約100年遅れ、フランスやドイツからは数十年遅れで産業革命に入ったので、決して悪いタイミングではなかったと思います。しかも、明治維新を成し遂げた人たちは、優れた能力を持っていました。

 指導者の多くは、支配階級の出身ではあったが権力を持たない下級武士たちでした。彼らが、頭のかたい権力者たちを次々と騙したと言えば聞こえは悪いが、例えば、「遷都」ではなく京都、東京の「二つの主都制度」などのすり替え的工夫をしながら辛抱強く革命を遂行した。彼らには、日本という国をつくるために何をしなければならないか、課題がはっきりと見えていたのだと思います。

――明治の指導者たちが見ていた課題とは何だったのですか。

 国内の敵対勢力など序章にすぎません。彼らは、世界中で猛威をふるいつつある帝国主義そのものが脅威でした。鎖国はしていても、長崎の出島から世界の状況に関する情報を頻繁に入手し、西洋の植民地主義と、中国の無残な姿を見ながら、帝国主義の波の中でどう生き残るかを考え抜いたのです。

 そして彼らは、強権発動するのではなく、結果的に、誰の目にもありえないように思えた東京遷都も廃藩置県も成し遂げました。そして憲法を発布し、議会を召集していった。ある意味なし崩し的に、「日本」という国の概念を作り、存続するためのシステムを作っていきました。

 彼らの課題設定および課題解決の方法は、非常に日本的だった言えます。

――日本的とはどういう意味でしょう。

 昔はともかく、現代の日本は世界の歴史でも稀な「覇権主義でない大国」です。というより、覇権主義になれない大国と言ったほうがいいのかもしれません。

 パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)を継いだパックス・アメリカナは、実は1980年代の半ばに終わっていたと思われますが、それを継ぐのは経済大国であった日本によるパックス・ニッポニカではなかったということです。アメリカ人にとっては、「大国=覇権主義」で同義語ですから、おそらく「覇権主義ではないけれども大国」という状況は論理矛盾で理解できないのだと思います。多分、中国人にも理解できないのでしょう。

 そのように、日本独自の、覇権主義でない手法で近代国家を建設しつつ、列強の覇権主義から身を守ることにも成功した。これが明治の人物たちの離れ業でした。その後の大成功で勘違いして昭和の時代に覇権主義になり失敗し、今は元に帰ったともいえます。

 ですから、江戸から明治にかけて、日本人は課題設定ができていたのです。ただし、権力者によるものではないので、多少、行き当たりばったりの面もある課題設定だった。それでもなんとかうまくいったということです。

――みな年齢も若かったのに、どうしてそのような課題設定ができたのか、不思議に思えます。

 西欧諸国に先進事例はあったが彼我の差は大きく、そのままマネすることはできなかったため自分の頭で考えていたからです。しかも、産業技術を除けば、学問は発達していました。また、各藩の経営のための人材はかなり訓練されていましたから、彼らは誰かに教えてもらう必要もなく、自分で課題設定ができたのです。岩倉具視使節団が欧米に2年間滞在し、何を日本に入れ、何を入れないかを取捨選択しましたが、それは極めて適切な判断であったと評価されています。

 そして、今、「日本の超高齢化社会をどう運営するか」という課題設定が最も重要です。これも世界に「先進事例」などなく、誰も解決策を教えてくれません。自分たちで課題解決を考えるしかないのです。