リスボン大震災を経験し、
ヨーロッパの都市は「課題先進都市」となった

――日本が鎖国をしている間に、世界が動いていたわけですか。

 12世紀にアラビア経由で西ヨーロッパはアリストテレスを中心にしたギリシャの思想を発見します。そこから始まった哲学、科学のルネッサンスは16世紀ごろようやくキリスト教の軛から離れた科学の展開、そして、18世紀の技術発展と産業革命と続いていきます。まず、ヨーロッパの都市のあり方に大きな変化が起こったのです。きっかけは1755年のリスボン大震災です。

 1755年11月1日、ポルトガル南西部を襲ったリスボン大震災では、津波による死者1万人を含め6万人が死亡しました。リスボンを中心に、津波と火災でほとんどの建物が倒壊し廃墟となるなど壊滅的な被害を受けたのです。それ以後、ヨーロッパでは都市計画の大転換が起こります。

――自然災害を経験して人々が課題に気付き、イノベーションが生み出された。

 そうです。都市をきちんと整備しないと、地震が起きたら大変なことになるという教訓から、彼らは災害に強い都市をどう組み立てるかという新たな課題を設定しました。その課題を解決すべく、新しい耐震建築構造の工夫と災害に強い道路網を持った都市計画を立てていったのです。

 中世以降、ヨーロッパの都市といえば、中央に広場があって、そこに市庁舎があり、広場の周りに都市が広がっているタイプのものが多い。その最大かつ最も典型的な広場が、イタリアのトスカーナ州シエーナにあるピアッツァ・デル・カンポ(カンポ広場)。とても美しい広場です。

――ヨーロッパの都市には、有名な広場がたくさんあります。なぜこういう広場ができたのですか。

 もともと住んでいた人たちの家がごちゃごちゃと建っていたところに、権力者が強制的に住民を立ち退かせて広場をつくり、そこを政治や商業活動(市場)の中心にしたからなのです。だからピアツァ・デル・カンポに見られるように変わった形をしているのですが、広場はとても重要な機能を持っていました。公開処刑などが行われるなど公的な権力が執行される支配空間であり、劇場や賭博場など貴族たちの社交空間でもあった。広場の街並みを美しく維持するために、都市条例をつくって建築にさまざまな規制をかけ、広場を中心とした都市は、常に権力構造を見せるようにつくられたのです。

――でも、震災への備えはなかったのですね。

 そうです。中世時代からのごちゃごちゃした街並みはそのままでした。しかし、それが変わり始めます。

 リスボンの復興で再建された都市には、整然とした幅広い街路による道路網と同時に世界で初めて耐震構造が導入されました。木で鳥かごのよう組立て、そこにレンガをはめ込んでいくポンバル様式という、当時では世界初の工法が開発されたのです。

 この教訓はヨーロッパ全土に広がり、ロンドンの都市構造に影響を与えます。さらにロンドンの耐震構造や耐火構造を見たナポレオン3世が、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンと30年かけて遂行するパリの大改造にもつながっていきました。

 一方で、リスボン大震災の日はカトリックの祭日(万聖節)で、教会での祈りの最中に地震が起きたため、その倒壊によって多くの人が亡くなりました。

 神は慈悲深いという弁神論では、もはや説明がつかないほどの惨状に、人々は神への信仰に疑いを持ち始め、それが啓蒙思想への傾斜を生み、フランス革命へとつながっていく。自由、博愛、平等というフランス革命の原点はリスボン大震災にあると言われます。