感情に引っ張られないために必要な「論理」

 人間は感情を持っている。がんばってやってきた人ほど「せっかくやってきたのにもったいない」とつい思ってしまう。そうした情緒に引っ張られて非合理的な意思決定をしてしまわないために、「論理」が必要なのである。では「論理」とは何か。それを私なりにいえば「追認可能性の高い理路のこと」である。つまり他者がその理路をたどって「なるほど、確かにこれについてはこのように考えるほかないなと」納得せざるをないようなものが「論理」なのである。

 このときに、「気持ちはわかるけども、それは埋没コストに囚われた意見で、ここで過去に囚われていたら事態はより悪化する一方である。状況が変わった今、目的を達成するためには、今でのやり方は捨てて、新たな事業に乗り出した方がよい」と建設的に提案することを可能にするのが「方法の原理」なのである。この原理を組織で共有することではじめて、まっとうな判断がまっとうに通るようになるといってもよい。

 さらに踏み込んで考えると、実は「埋没コスト」とはたぶんに心理的なものなのである。原理的に考えれば、埋没コストとはどこかに転がっているモノではなく、ある人が「埋没コスト」と見なしている、ということである。これは、それが回収不能なものかどうかは、認識次第ということを意味する。

 エジソンは、「失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を七百通り見つけただけだ」と言ったというが、これは通常の人が埋没コストとみなしがちな失敗を、成功のための意味ある行動として認識しているということであり、だからこそ自ら「あきらめないことの天才」と自負するまでチャレンジし続けることができたのだろう。

 失敗したから、撤退したからといって、すべてが無駄になるわけではない。それが無意味なものになるか、意味あるものになるかは、実はその後で決まる。「意味の原理」というものがある。これは起きた出来事を無かったことにはできないが、その出来事の意味は事後的に決まる、というものである。そのときは失敗して、これまで注力してきた事業からの撤退を余儀なくされたかもしれない。しかし、勇気をもって方針転換し、その経験を糧に次の事業で成功させることができたならば、「あれがあったからこんな風になれた」と思うことはできる。本当に「埋没コスト」になるかどうかは、むしろその後の行動、結果によって決まるのである。