――アーバン・デザイン学科の教授陣はどういう方々ですか?

 多くはもともと建築家です。フィジカル・デザイン、すなわち目に見えて触れることができるハードウエアのデザインは得意なのですが、都市というソフトウエアとコンテンツの集合体をデザインすることはできないのです。

 なんだ、アーバン・デザインもたいした内容ではないなと思い、ハーバード・ロースクールのライブラリーで都市計画関係の係争ケースを読みながら、ぼーっとして過ごす日々を送っていました。すると、ある友人が、学外でアーバン・デザイン的活動をすると単位がもらえるらしいという話を持ち込んできた。調べると本当にそういうプログラムがあったのです。

――学外での活動が単位として認められるというのは、なんとも自由な学習スタイルですね。

 いい加減なプログラムともいえます。とはいえ面白そうなので、いろいろ探していたら、ボストン市で「インナーサークル」という市内を循環する高架高速道路の建設計画が進んでいて、立ち退きを余儀なくされた黒人居住区の住民たちが反対運動を起こし、ハーバードGSDへ協力を要請してきたのです。頼んできたのはルーマニア系アメリカ人の活動家でした。

「これだ」と思い手を挙げると、クラスメート3人も手を挙げていた。韓国人、中国人、ユーゴスラビア人、みなGSDの外国人留学生です。この4人で反対運動のグループに協力することになり、インナーサークルは必要ないということをさまざまな角度から論証する作業を始めたのです。

――留学生4人が、米国内の地域計画の反対運動に協力したわけですね。

 交通発生量と発生場所とか騒音の発生状況とか、大量の資料を作成しました。結果、我々の資料をもとに主張した、州間ハイウエイ計画のルート128(ボストン郊外の環状線)より内部への延長中止が認められ、州知事は計画の凍結を発表したのです(*1)

 計画中止の決定を聞いて驚嘆しました。心底すごい国だと思いました。筋が通れば、誰が主張しようと、その意見を受け入れる。米国の懐の深さというか、あっけらかんとした凄みというか、ともかく感動しました。都市交通システムのデザインという、まさにアーバン・システム・デザインの経験をしたわけです。アーバンはデザインできないが、アーバン・システムはデザインできるのではないかと思いました。

 特に印象的だったのは、「高架道路は環境破壊である」という議論が起こっていたことです。1970年代、米国ではすでに「環境破壊(environmental disruption)」というテーマが、実際の都市計画の現場で問題提起されていました。反対派のリーダーたちは、高架道路が都市景観においていかに醜い(ugly)ものかと主張していた。そこで初めて私は気付いたのです。「高架のハイウエイは環境破壊なのだ」と。

――1970年代というと、日本でも全国に高速道路網を張り巡らしたころですね。

 日本初の首都高速道路が開通したのが1962年、東京都心部はオリンピックに向けてそこらじゅうで首都高速道路の工事をしていました。当時、日本を訪問していたフランスのグランゼコールの一つであるポンゼショセ(土木学校)の学生たちがそれを見て「なぜ、あんな醜いものをつくるのか」と言うのです。私は「都心部の渋滞が解消して便利になる。パリだって慢性的な渋滞をどうするのか」と言い返しました。すると、「パリは、あんなものはつくらない。全部地下道か切通しにする。あれは人の目に触れるものではない」と切り返してきた。「それにはものすごく時間がかかるではないか」と反論すると、時間はかかってもいいのだと言うのです。

 その時の私は、彼らの言っていることがまったくピンときませんでした。変なことを言うなあ、と思ったものです。ところが10年後、ボストンで目の当たりにした現実によって、ようやくフランス人学生たちの言っていたことの意味がわかりました。環境を破壊して、しかも見た目にも美しくないものを、首都東京になぜつくるのか、彼らには理解できなかったのです。
 

*1 米国マサチューセッツ州政府が1940年代に策定したボストン市のハイウエイ建設計画は1960年代にかなり建設が進んでいが、市民団体や環境団体などから反対運動が起こった。これを受けて、マサチューセッツ州知事は「ボストン交通計画レビュー(Boston Transportation Planning Review)」という諮問委員会を設置し、最終的に複数の高架道路計画の凍結を決断した。