賭けない、捨てない
したたかな経営

「イノベーションのジレンマ」で有名なハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授は、「イノベーションの解」という書籍の中で、イノベーションを生む組織の在り方を、バリュー(価値観)とプロセスの2軸で構造化しています。トヨタのイノベーションの系譜をこのマトリクスにプロットすると、そのしたたかさがくっきりと浮かび上がります。


 例えば、開発当時のプリウスは図の左上の象限に当てはまります。バリューはマッチしているものの、その段階ではプロセスはまだありませんでした。しかし、自動車メーカーとして生き残るためには絶対に外せない事業と見定めて主力人材を思い切って投入し、革新的なクルマを世に送り出しました。

 ご存知のようにプリウスは現在、トヨタのフラッグシップカーとなっています。

 対極に位置するのが、3年間の期間限定プロジェクトから生まれたWiLLです。プロセスは既存のものを使いながら、従来のバリューでは考えられない、およそトヨタらしからぬ車でした。

 全く売れませんでしたが、それまであまりにも手堅く、ストライクゾーンど真ん中の車ばかりをつくってきたトヨタの価値観を「内側からずらす」のが目的だったので、意図的な失敗と言えるでしょう。優秀な主査たちが「こんな車をつくってもいいんだ」と思ったことで、その後、ファンカーゴやBBなどの個性的なヒット車種が生まれました。

 一方、バリューがミスマッチで、プロセスもない右上の象限は、内部から生み出していくことは困難です。そこでトヨタは、2010年、EV領域で先端を走るベンチャー企業のテスラ・モーターズへの出資に踏み切りました。EVという自分たちではなかなか本腰を入れて取り組めないものの、放棄することもできない事業領域に対して、外部の知恵と資産を足掛かりに、将来に向けた布石を打っているのです。

非デジタル思考のすすめ

 戦略論の教科書にはたいてい、コア事業に集中せよ、コストと価値、規模と差別化の二兎追いは「どっちつかず(stuck in the middle)」に終わると書かれています。

 実際に、強みを生かせる事業や大きな成長が見込める分野以外からは潔く撤退し、一つないしは二つ程度の事業に経営資源を集中させる選択は、多くの企業で今も行われています。

 しかし、本当にそれは正しい判断なのでしょうか。私は、少なくとも常に正しいとは限らないと思います。

 特定の分野や事業モデルに賭けて外れてしまった場合、経営は立ち行かなくなります。また、仮にそれが「当たり」でも、環境変化に備えた次世代事業への種まきを怠ることはできないからです。

 トヨタのように1本に賭けることも簡単に捨てることもせず、必要ならば他者の力を借りて新しいものを取り入れ、自分たちの側に引き寄せて、最後は取り込んでしまう。こうしたしぶとさは、本当ならば苦境にある企業(例えば現在のソニーのような)にこそ必要なものでしょう。

 余裕がなければ、先ほどの4象限のすべてが埋まらなくてもいい。空き地があってもいいのです。トヨタでも、第4象限のEV事業では、テスラを買収するまで、長らく試行錯誤が続いていました。ただ、簡単に諦めたり放棄したりせずに、将来につながるオプションを仕掛けておく。このしぶとさが、苦しい局面ほど有効なこともあります。たとえば、本業のフィルム事業そのものが喪失するという大ピンチに直面した富士フィルムが、あえて機能性化粧品という第2象限ビジネスに挑んだように。

 集中か撤退か、ゼロかイチかではない、非デジタルな思考が、限界突破の可能性をもたらしてくれるはずです。